【第901回】 シニアとして稽古する

80歳を数年過ぎた。超高齢者、シニアである。年月の流れるのは早いものである。これまでは過去を振りかえること等なかったが、振りかえってみるといろいろな人に出会い、経験し、身につけ、今日のシニアになったということを実感する。多くの人の支援を受け、そのお陰でこれまで成長し、生きてきたわけである。

若い頃は高齢者にはあまり興味がなかった。自分に参考になること、役立つことが無いと思っていたからだ。しかし、自身が高齢者になると、若者、社会等に役立つようにならなければならないし、その可能性はあると思うようになったのである。というよりは、高齢者には若者に対してや社会に対しての役割があるはずだと思うようになったということである。それは人間社会だけでなく、動物の社会でもそのようなのである。

『なぜヒトだけが老いるのか』(小林武彦 講談社現代新書)を読んだ。
「ヒト以外のほとんどの生物は老いずに死ぬ」という。死ぬ前の動きが悪くなった状態を「老いた状態」とした場合、野生で生きている生き物では、老いたりして動きが悪くなると他の生物に食べられるか、または自分で餌を探せずたべられなくなるかで死んでしまうからである。
しかし、人には死の前に老いがある。ヒトの寿命は約55歳と云われるが、今日では80歳以上生きているから、25年以上が老いということになる。
本書はこのヒトの老い、老いたヒトが重要であり、他の生物との違いであるという。但し、老いたヒトでも只年を取っているだけではなく、集団の中で相対的に経験・知識、あるいは技術に長じた、物事を広く深くバランスよく見られるヒトである。これをここではシニアと言っている。そして、シニアのいる社会はさまざまな点で有利であるという。

シニアの定義をもう少し拡げると、「知識や技術、経験が豊富で私欲が少なく、次世代を育て集団をまとめる調整役になれる人です」と言っているが、同感であり、自分もそのようなシニアになりたいものだと思う。
1989年、スウェーデンの社会学者トルンスタムは、85歳を超える超高齢者の心理状態を分析し、次のような意外な結果を得たという。
○超高齢者の価値観は「物質主義的・合理的」な世界観から「宇宙的・超越的」世界観に変化する。つまり、俗っぽいことには興味が薄いということである。
○他人を敬い感謝する気持ちが強くなる。
○自然や宇宙とのつながりを感じて孤独感は減り、肉体的な衰えや年齢制限でできないことが増えても落ち込まず、後悔もせず、くよくよしなくなる。そして死の恐怖も薄らぐ。
日本でも同様な研究が東京都健康長寿医療センターと大阪大学で(2010-2017)行われたが、このトルンスタムとほぼ同じような結果が出たというから、信ぴょう性があるだろう。

さて、今回のこの論文の趣旨は、これからの超高齢者としての合気道をシニアとして、合気道のため若者のためにこの世界観と気持ちでやっていかなければならないと改めて決心したことである。

参考文献 『なぜヒトだけが老いるのか』(小林武彦 講談社現代新書)