【第899回】 失敗は仕方がないがそのフォローが大事

年を取ってくると毎日、事ある毎に失敗する。買い物や散歩や稽古などに出掛ける時は何かを忘れる。財布、定期券、買い物リスト、マスク、ハンカチ等々である。忘れるのは頭の中がまだらになっているようで、覚えられるモノとそうでないものがあるようだ。そこで持参するモノは机の上に置いておくことにした。勿論、机に置いておくのを忘れるものもある。その時はお前も年だなと言ってやる。そうすると年だからしょうがないだろうと云いやがる。
買い物してお金を払う際、間違いが多くなってきたようだ。小銭入れが膨らみ過ぎないように小銭分を硬貨で払おうとするのだが、多すぎたり足りないのである。万札で払ってしまえばこのような問題はないのだが、それでは小銭が溜まってしまうし、余り面白くないのでなるべく支払額にぴったりか、それに近い金額のお金を出して払っている。まあ、頭の体操である。相手に迷惑がかかるような場合はお詫びすることにしている。お詫びが相手の怒りを解消する最良な方法であると確信している。

近々の失敗では、送られてきた原稿が二枚あったが、文章の関係で1ページ欠けている事がわかり、そのページを送るように催促した後原稿をよく見ると裏にも原稿があることが分かったのである。勿論、それが分かったわけだから、直ぐにその事を相手に伝えお詫びをした。原稿の見落としは仕方がないことであるが、そのフォローが大事ということである。

長年修業をしている合気道でも失敗の連続である。別に高齢者だけが失敗するわけではない。若者だって失敗の連続である。自分の事で云うと、若い頃は失敗を深刻には捉えていなかった。そもそも失敗だったことに気がつかなかった。今は稽古で技が上手くいかない失敗は気になるし、少しでも失敗しないように心がけている。また、失敗した場合は、その原因を探し、どうすれば上手くいくようになるかを考えて、試し、反省し・・を繰り返す。つまり、失敗することが新たな発見につながり、上達に結びつくのである。
最近の大きな失敗から学んだことのは正面打ち一教であった。思いっ切り打たれる手を捌く事ができなかったという失敗であったが、そのお陰で空の気や真空の気や魂が身についたのである。もし、正面打ち一教でのこの失敗がなければ魂のひれぶりもつかえなかったろう。

以前は恥ずかしいと思ったり、これで俺も社会生活は無理かと思ったこともあったが、今では失敗するのは当たり前、逆に失敗から学び、楽しもうと思うようになった。
失敗けっこう、失敗を気にせず生き修業を続けていくつもりである。