【第895回】 高齢者の最大の敵は己自身

長年に亘って合気道を修業し、そして年を重ねてきたために、大先生の教えである、合気道には勝負がないとか、相手もないし敵もない等がわかってきたわけであるが、入門した頃やその後数十年の若い頃はその教え、つまり、真の合気道の教えがわからなかったし、不謹慎にも興味もなかったのである。只、少しでも上手くなりたい、強くなりたいと思って稽古を続けていたわけである。

若い頃は、稽古相手を如何に制し、投げ、押さえるかという戦いであった。勿論、大先生からは合気道は戦いではなく、愛の武道であると言われているわけだから、戦いだなどと口に出すことはしなかったが、心の内では戦いであった。今思い返してみても、若い時期に合気道を上達する方法はそれしかなかったようにも思える。スポーツでの上達法でもあるだろう。相手と試合をして、相手を打ち負かせて上達していくわけである。

ということで、稽古の対象となる敵は相対稽古での相手だったわけである。
日頃顔なじみの同輩や先輩、その日に外の道場から本部道場に稽古に来られた方、外国からこられた稽古人などが“敵”だったということである。
戦いといっても、頑張り合いの稽古をするわけではない。技はその時の指導の先生が示された通りに懸け、受け身は頑張らずに相手の投げたいように投げさせ、素直に受けを取るのである。力一杯、精一杯の稽古である。
力一杯、精一杯の稽古していくと、受けと取りの二人が一体となって動くようになる。敵と己がシンクロするわけである。こうなると気持ちがいい稽古になる。相手が敵であることを忘れるようになる。しかし、その内、どちらかの息が乱れはじめ、技にも乱れが生じはじめ、体が動かなくなり、一寸休憩させてくれとなる。これが当時の敵に勝つという事であった。元気な若い頃は一時間の稽古で一人、多い時は2,3人息を上がらせていた。

さて、高齢になった今の敵である。今は、「真の武道には相手もない、敵もない。真の武道とは、宇宙そのものとひとつになることなのです。宇宙の中心に、帰一することなのです。」「日本の武道は相手をこしらえてはいけません。」という教えがよく分かるようになっているので、稽古相手を敵と思うこと等ない。逆に、稽古の相手をしてくれる人に感謝しているし、技を掛けた相手は己の分身であると思うようになった。自分が掛けた技の結果を相手は表してくれるからである。上手く掛ければそのような反応で倒れたり、飛んだりするということである。

高齢になると新たな敵が現われる。その敵とは己自身である。若い時は気にも留めなかったが、年を取るに従ってその敵がのさばってくるのである。この敵との戦いがこれからの最大の戦いになるように思える。
まず、若い頃と違って、どこも悪い所はなく、健康で元気で道場に行く事はない。筋肉痛は体の何処かにあるし、膝が痛かったり、腰が痛かったり、肩が痛んで手が上がらなかったりといった身体的な問題もある。次に、体のふらつき、頭のふらつき等の神経系や脳の問題、また、寝不足や食欲不振で手足がつる、その上、風邪などの熱やふらつき等の病気が敵となるわけである。これらはすべて己自身のものであるから、敵は己自身なのである。
この己自身の敵は普通単体ではなく、複数でやってくるのでそれに打ち勝つのは容易ではない。これまでの稽古相手の敵とは比べ物にならないぐらい強敵なのである。若い頃なら、これらの敵に襲われれば休むことも容易にできたが、年を取って休むことは極力我慢すべきだと考えている。一度休んでしまえば、元にもどすのに時間が掛かるからである。
合気道は日々精進であるから、それが一時でも途切れて精進が止まるのはよくないであろう。身体が動くのであれば、多少の問題があってもその己の最大の敵とも戦い続けながら精進しなければならないと考えている。
その理由の一つは、それらの敵との遭遇によってその敵をよく知り、その退散法を研究できるからである。これまで、膝や腰や肩の敵を退散させたし、その原因も突き止めている。

これからますます己自身からの敵が出現するはずである。これと上手くやって行くのがこれからの高齢者の稽古であると考えているところである。