【第894回】 合気道的高齢者の健康法

合気道は健康にいいといわれている。合気道を稽古している人はそう思って稽古をしているはずである。実際、合気道は健康にいい。特に、入門して間もない間や若い内の稽古は問題なく健康的である。形を覚え、受けを取っていれば、筋肉が軟らかくなったり強くなり、肺や心臓が丈夫になるからである。故に、一般の方に合気道は健康にいいと奨励している。

しかし、私は稽古をしていても70歳を超えた頃より、体調がおかしくなってきた。合気道は万能の健康法ではないということである。だが、大先生は合気道は健康法であるといわれているわけだから、基本的には健康法であるはずである。そこで何故、稽古をしているにもかかわらず不健康になったのか、どうすれば健康法としての合気道ができるのかを考えてみた。

結論は、合気道を稽古しているのが健康法であるのではなく、合気道の教えに則った稽古をすれば健康法になるということである。大先生は間違った稽古をすれば体を壊すともいわれているのである。
それでは合気道の健康法の教えとは何かである。まず、合気道は禊であるという教えである。身心にたまったカスを取る事ということである。血液や血管、筋肉・筋、骨にたまったカス(不純物・不浄物)を稽古での熱や汗で取り除いていくのである。これは只、体を動かせばいいので誰にでも容易に出来る。
しかし、高齢者にはこれだけでは不十分なのである。それまでの禊ぎでは老化(不健康)の速度に負けてしまうのである。それは自分で体験しているからわかる。つまり、高齢者になれば更なる禊が必要になるということである。

次の禊は、固まっていく体、体の部位を息と動作によって解きほぐすのである。息づかいはイクムスビである。柔軟にしたい箇所を、息をイーで吐き、クーで引き、ムーで吐き、これに体の部位も縦に伸ばし、横に拡げ、そして縦に伸ばし切るのである。これが合気道的な柔軟運動である。柔軟にすべき箇所は、手の指、手首、肘、肩、胸鎖関節、足首、膝、股関節、仙骨、首等である。当然、合気道の技と体もこのイクムスビの息づかいでやるのである。
ここまでの禊ぎは誰にでもできるが、高齢者にはまだ不十分な禊である。

老化していく高齢者が健康になる禊とはどんな禊かである。それは気を巡らせて体を禊ぐことであり、気を体に取り入れることである。
この禊の基本は布斗麻邇御霊の気形をあおうえいの言霊でやるのである。天の気(日月星辰)、地の気(潮の干満)を頭から足下まで、手先から胸鎖関節まで、腹中、胸中、仙骨、股関節、頭と気をあおうえいの言霊で巡らすのである。気が分からなければ息でやればいい。その内、息が気に変わるはずだ。息はいずれ切れてしまうが、気は好きなだけ出せる。

若い頃は、自己の気で運動をしたり、稽古をしていたが、年を取ると自己の気は減少するようで、他の気で補充しなければならないのである。その自分以外からの気が先述の天の気、地の気であり、山や森や川の気、また身の回りにある樹木の気である。この自然の気を取り入れ、その気で体のカスを取るのも禊であるが、この禊は毎日やらなければならない。上記の若い頃の体の禊、つまり稽古は毎日でなくともいいが、高齢になったこの禊は毎日やらなければならない。そうでないとその隙に老化が入り込んできて不健康になるからである。

お陰で大分健康になったが、もう一つの健康法の秘訣があるので書く。
それは六根を禊ぐようになり、体と仲良くなったことである。毎朝、目、口、鼻、耳を水で禊ぎ、頭をマッサージするのである。禊ながら健康で働いてくれることに感謝するとともに、今日もよろしくとお願いするのである。六根(体)を禊ぐということは、六根を大事にするということであり、六根と仲良くなるということである。そして仲良くなるということが健康であり、健康法ということだと実感するのである。

これが合気道の教えに従った高齢者の健康法であるが、只今実験中というところである。何せ経験のない事をやっているわけだし、良し悪し、正誤の結果は最後にならないとわからないわけで、今の途中経過で判断するしかない。