【第893回】 年を取ったらその時を大切に

年を取ってくると体は効かなくなるし、気力も意欲も減退し、また新しい事への興味も失せて来る。合気道の稽古でも一時間もてばいいと、なるべく疲れないようにやるようになったり、新たな技への挑戦なども無くなってくる。
これは当然な事、自然な事なのでとやかくいうことではないかも知れない。また、これが世間一般の考え、やり方だろう。
しかし、何かがおかしい。このような稽古や生き方をしていては満足できないし、喜びを味わう事ができないからである。稽古や生きている事に充実感が持てないのである。
それではどうすればいいのか。年を取ったらどのような稽古すればいいのか、そしてどのように生きるのがいいのかということである。

年を取るという事は、先が見えてくると言う事である。いずれ近いうちにお迎えがくることが分かっているという事である。
要は、稽古や生活でこれをどう考えるかということである。一般的には、先が短いのだから頑張ることもないし、新しいことをやる必要もないし、出来るだけ気を使わずに気楽にやればいいと思っているひとが多いように見える。街中や電車で多くの高齢者はラフな服装でリュックサックを背負い、野球帽を被り、ズック靴を履いている。おそらくいつも同じ格好をしているのだろう。つまり、年を取っているからと着る楽しみや生きる楽しみを放棄しているわけである。
服装に関してこれと対照的なのはイタリアのミラノの町で見た高齢夫人である。近所の食料品店に買い物に出るにも着飾っていくのである。髪を整え、よそいきを着、ピカピカの装飾品を身につけ、お洒落をして家を出るのである。その時を服装でも大事にし楽しんでいるのである。また、30年ほど前に友達になったイタリア人は、近所のタバコ屋に煙草を買いに行くにもネクタイをして上着を着ていかなければ煙草を売ってくれないといっていた。今はどうか知らないが、イタリアは着ることには気をつかう国、つまり生きることを楽しもうとしている国で、高齢になってもその伝統は引き継いでいるようだ。
ここで何を言いたいかと云うと、年を取ったらもうどうでもいいではなく、イタリアの例のように、残り少ない時間を大いに楽しみ、大事に使った方がいいということである。
着る事、衣も楽しむのである。所謂、TPOに相応しい衣を楽しむのである。楽しむという事は、気をつかい、緊張もする。いつものものを引っ掛けるのではなく、天候や出掛ける目的に合ったものを考え、組み合わせなければならない。私の場合は和服をよく着るが、季節に合い、その場に合うものを着て楽しむようにしている。勿論、洋服も着るが、同じように楽しむようにしている。

さて、稽古に戻る。結論を云えば、年を取ったら稽古は若い頃より密度を濃くしなければならないということである。濃い密度の稽古とは、無駄のない、理合いの稽古であり、目標を目指す稽古であると考える。一回一回の稽古を大切にすることである。終わった後満足できる稽古である。喩え、これが最後の稽古となっても十分やった、これでよかったと思えるような稽古である。
そんな稽古をこれからしていきたいと思っている。