【第887回】 八百万の神

最近、神様や仏様にお参りするのが多くなった。神社やお寺にお参りに行く事もあるが、通りすがりで神社やお寺があれば頭を下げるし、道端のお地蔵さんにも頭を下げるようになった。年のせいがあるかも知れないがそれだけではないようだ。過っては自分に関係の或る神様や仏さまだけをお参りしていたが、今は神様、仏様のすべてにお参りをするようになったのである。

どんな神様や仏様でもお参りするようになったのは、年を取ったからだけではないはずである。もしそうなら、年を取った人はすべて信心深くなっていなければならないはずだが、現実はそうなっていないからである。
私の場合は、年を取ってきたのに加え、合気道の教えが体に染み込んできたせいだと考えている。
年を取ったということは、物理的には年を重ねたということだが、精神的には知恵がついたということだと思う。この知恵が合気道家として授かったということである。

合気道を修業し研究してきていろいろ分かってくるが、神についても学んだし、祈りの大切さも教わった。合気道は合気道の技を練って精進するが、この技は人為的なものではなく、神がつくったものだという。合気道だけでなく、日本の武術(武道の術・技)は神がつくったものだと言われている。
合気道の技を注意深くつかっていくと、これは人間がつくれるようなものではないことが分かってくる。故に、技をつかう際は、技をつくった神の意思に則ってつかわなければうまくいかない事になる。

しかし、誰でもがぶつかる難題がある。「神」である。神とは何かである。神を信じる人もいるが、信じない人もいる。神は科学の分野にないからである。目に見えないし、表わすことができないし、対話もできない。しかし、世界的な科学者、例えば、アインシュタイン博士、天文学者のホーキング博士等などは神を信じていた。神はあるという。
私も神を信じている。私の神観は神の働きである。超人的な働きと営み、人類が関与できないような働きと営みを神としている。何もない宇宙に星というモノが生まれ、地球が誕生し、火の玉だった地球には生物が誕生、生育したこと等である。これが神である。神の働き・営みである。私の神に姿形はない。

神は宇宙をつくった元の神がある。合気道ではスの大神という。この神からいろいろな神が生まれ、働いているのである。所謂、八百万の神である。
合気道は八百万の神の助けを借りて精進しなければならないのである。
合気道をつくられた植芝盛平大先生は、「すべての万有万神ことごとく、じじいに御協力していただいております。」と言われているように、八百万の神、万有万神に御協力していただけるようにしなければならないということである。そしてそれは可能であると、大先生は次のように教えておられる。「自分の心の立て直しができて、和合の精神ができたならば、みな顕幽神三界に和合、ことごとく八百万の神、こぞってきたって協力するはずになっております。」(合気神髄P.25)

すべての神並びに仏にお参りするようになったという理由は、八百万の神がこれまで協力して下さったことや八百万の神がこぞってきたって御協力してくれるようにということなのであろう。