【第884回】 発見のために

合気道の稽古が半世紀以上続いているが、よくも続いていると我ながら驚いている。気まぐれな自分が一つの事を続けているのはよく考えて見ると不思議である。しかし、続いているにはそれなりの理由があるはずである。今回はその理由を考えてみたいと思う。
一般的な理由には、好きだからとか、健康にいいからなどあるだろうが、そうだとしたら合気道でなくてもいいし、合気道一つに絞り込む必要もない。いいと思うモノをつまみ食いしてもいいという事である。人生の大半にわたってやってきたわけだし、この間、時間的、経済的、健康的などの問題で稽古を続けることが難しくなったこともあったわけだから、もっと強力な理由があるはずである。

それは“発見”であると考える。勿論、これ以外の理由もあるが、最大の理由が“発見”なのである。
60年ほど経って分かったのであるが、合気道からは色々な発見があった。これらの発見は他のモノでは難しいだろう。合気道を始めた当初はこんなことは分かっていなかったし意識していなかったが、無意識のうちにはそれを感じていたのだろう。
発見にはいろいろあった。例えば、はじめは合気道の技の形と効果や己の肉体の構造や働きから、次に宇宙の法則、宇宙の創造と営み、宇宙生成化育、
己と宇宙の同一性・一体化等などである。これらの発見を論文に書き続けてきたわけである。これまでの発見を見てもわかるように、合気道の発見に終わりがない事もわかる。よって、合気道の修業には終わりがないわけである。勿論、これも発見である。

合気道の稽古では発見がある。新たな発見があると嬉しいし、これほど楽しく、嬉しい事はない。どんなに高価なモノや貴重なモノを貰うより嬉しい。大先生が名刀や立派な家屋も貰っても余り喜ばれなかったのも、己の“発見”に勝るものはないということだと拝察する。
また、一つの発見があれば、次の発見が楽しみになり、明日の稽古に期待する。稽古に行く時は、今度はどんな発見があるか楽しみなのである。
新たな発見は進歩であり、発見は上達につながるというご褒美になる。
これが私の合気道修業が長年続いた理由であることに間違いないだろう。

合気道で“発見”があると、日常生活でも発見を楽しむようになる。朝目覚めれば、今日はどんな出会いがあり、どんな発見があるか楽しみである。夜は、今日の発見に感謝し、明日の発見を楽しみに寝る。これは長生きの秘訣でもあろう。長いだけでなく、毎日が発見の喜びで充実するから、質量ともに充実した人生ということになるだろう。

合気道でも人生でも、最大、最良の発見は自分発見であると思う。人は自分の事をわかっているつもりでも、ほとんどわかっていないものである。合気道の稽古でそれがよくわかる。身体、霊魂、息、気などわかっていないだろう。どのように身体をつかえばいいのか、息をすればいいのか等よくわかっていないと見る。
自分発見ほど面白いことはない。身体は通常無暗に動かないようにロックされているが、合気道の技などつかう場合はそのロックを外さなければならない。ロックを外すのは息や気をつかう。体は左右規則的に陰陽、そして十字につかう等である。身体が縦横十字に機能さるようにできている等々である。
己の身体の構造や機能を少しづつ発見すると、合気道の技が上達するし、日常生活も快適になる。また、自己を発見し自己を知ることは宇宙を知ることになるから、自己発見は壮大な発見に繋がることになるわけである。

合気道も人生も発見があるから出来るだけ長く続けたいと思うのは不思議ではないだろう。