【第883回】 もう腕力では敵わない

合気道は力が要らないとか、箸を持つ力があればできるといわれていたが、合気道は武道であるし、敵を制する技をつかうわけだから、力は必要だと思っていたし、力を少しでも強くしようとしてきた。相対稽古でもそうしてきたし、また、木刀を振ったり鍛錬棒を振ったりしてきた。そして多少力が強い相手にも力では引けを取らないようにしてきた。
しかし、最近ついに若者には腕力では敵わない事を自覚した。こちらはいくら力を入れても力を止められたり、押さえられてしまい、技がつかえず、力の争いになってしまうのである。これでは合気道にならない。

もう腕力では敵わないと自覚した時は落ち込んだし、寂しかったし、腹も立った、がすぐに気持ちが切り替わった。更に、腕力では出来なかった事に気がついたことに感謝した。腕力では駄目だし、腕力にかわるモノをつかわなければならない事を悟ったからである。
勿論、これまでも腕力という肉体的な力をつかっては駄目だとは思っていたし、そうしていたはずだが不十分だったわけである。言うなれば、頭ではそう思っていたが、体に染みついていなかったということである。気がついたのは年を取ったお陰もあるように思える。

合気道の修業は先に進む事、己をより良くする事である。退化したのでは意味がない。腕力という力をつかわなくなって、“力”がなくなったり、半減しては修業の意味がない。そのためには、腕力という力に代わる、そしてそれ以上の力が出るようにしなければならないことになる。
それは、まずは「気力」と考える。腕力を気の力の気力に代えてつかうのである。気力は呼吸法で大分わかってきたし、つかえるようになってきたので、他の技、すべての技でつかえるように稽古をしていけばいいだろう。
具体的にどうしているかというと、腹と手先を結び、腕力にならないよう、腹からの気を満たした手先で相手に接し、相手を制し導き、技を掛けるのである。相手は手先にこちらの腹の力(体重)を感じと共に、引力でくっついてしまい一体化、つまり二人の別人が一人になるのである。一人になるからこちらの心のまま自由に動けるようになるわけである。この状態になれば相手は力んで頑張る事も反撃することも難しくなる。だが、ここでこちらが力んだりして腕力をつかえば、相手は腕力で反撃してくる。要は、こちらが腕力をつかえば、相手も必ず腕力をつかうということである。
腕力の強い者とやる場合は、その腕力をつかわせないよう、腕力でない力“気力”をつかわなければならないということである。これからは、これまで腕力を鍛えてきたのを、気力を鍛えるようにしなければならないと考える。
更に、気力をある程度鍛えることができれば、今度は魂の力にかわるはずだと思っている。まだまだやることはある。年に甘えてなどおられない。