【第881回】 涙もろくなった

年をとってきて涙もろくなった。子供のころも涙もろかったが、子供のころと違うのは、今は頻度が多くなったことと、涙を子供のころのように恥じるのではなく嬉しく思うようになったことである。言うなれば、うれし涙ということになる。子供の頃の涙は、叱られた時とか悔しい時など悲しい時などネガティブな時であった。これに対して、年を取っての涙は、嬉しい事、素晴らしい事などのポジティブな事による涙なのである。

この年を取って来ての涙は年のせいかとはじめは考えたが、どうもそうでないようなのである。もしも年を取れば涙もろくなるのなら、高齢者の多くが涙もろくなるはずだが、そうではない。どちらかと云えば、その逆になるように見える。所謂、頑固になり、涙を出したり、滲ませる繊細さは失っているように見える。
そして思いついたのは、涙もろくなったのは合気道の修業のお蔭であろうということである。合気道を長年やって、合気道の教えが身についてきたということである。合気道は真善美の探究と愛の教えであるが、これが身についてきたのだろうということである。真善美と愛を目指して修業を続けて行くと、真善美と愛に触れると感動、感激することになり、それが涙に結びつくと考える。年を取って来て、真善美の探究と愛に敏感になったということ、そしてまた、純になるということであろう。
大先生は、合気道を修業すれば悪い事はできなくなるし、悪い事を思うこともなくなるといわれているが、これと関係あるだろう。

年を取って確かに敏感になり、涙もろくなった。美しい朝焼け、夕焼け。可憐な草花。無邪気で飛び回ったり、嬉しそうに親と戯れる幼児たち。運動や仕事に打ち込む姿。また、川柳。面白い話、感動する話などで涙をにじますのだ。
最近、涙が出た面白い話に出会ったので紹介する。この話を読んだ時は、ゲラゲラ笑い続け、涙を流していた。また、後でこの話を思い出すたびに笑いが込み上げて来るのである。
これは朝日新聞の天声人語(2023.2.2)に掲載されたものである。
「ある俳優がNHKの時代劇に出た。テレビ草創の頃である。出演料の入った封筒を本番の直前にもらい、胸元におさめてカメラの前へ。当時はドラマでも何でも生放送だった。やり直しはきかない。▼忍者役でバッサリと切られて、駆け寄った味方に虫の息で告げる。「密書を殿へ」。ふところから味方が紙をとり出す。カメラがぐっと寄る。映ったのは、さっきの封筒だった。「それは拙者の扶持でござる。密書はもっと奥・・・」▼黒柳徹子さんが著書『トットチャンネル』でふり返っている。」
自分がこの場にいたり、この場の役者だったり、撮影関係者だったら涙がでるほど笑い転げるだろうと想像し、涙がでるほど可笑しかった。

これからますます涙もろくなりたいと願っている。