【第871回】 陰から陽へ

古希(70歳)を過ぎた頃から、年を取ってきたかなと思い始めたようだ。“ようだ”というのは、当時はそれほど意識していなかったので、はっきりしないということであり、今思えばそうだったのだろうと思えるわけである。それに退化は徐々にしていくので分かり難いこともある。
年を取ってきたと思うのは、それ以前と違ってきたということである。例えば、体力がなくなる。気力が衰える。体が動かなくなる。体が冷える。力が衰える。食欲が減退する。視力が衰える。陰気になる等である。

年を取ってきたをはっきり認識させてくれたのは、歩いていてつまずく事が多くなったことである。足腰が退化していることを気づかせてくれたのである。自分は合気道の稽古をしているので、足には自信があったし、稽古をしていれば足の退化などないだろうと高をくくっていた。
しかし、この出来事は、稽古をしていても、年を取れば体の衰えはあるということを教えてくれたわけである。その目で先輩や仲間を見てみるとそれに間違いないことがわかる。

稽古を続けているだけでは、つまずくことはなくならない事がわかったところで、つまづかなくなるための方法を考えなければならなくなる。そして分かったことは、若い時の延長上ではなく、年を取った新たな線上で鍛えなければならないということである。つまり、若い時にやっていた登山、ランニング、筋トレを再開するのではなく、別なやり方に変えなければならないということである。
そのキーワードは陰から陽へである。

過って、桜沢式食養の陰陽論を研究した事がある。そこで、食養も人も陰と陽があり、陰にも陽にも隔たらない中庸がいいということを学んだ。陰が強ければ陽で補い、陽が強ければ陰で補うということである。人はそれを自然とやっているという。例えば、陽の子供は陰のもの、例えば魚の陰の尾の方、陰が強い大人は魚の頭の陽の方を欲す。

年を取るということは、陰が強くなることだと考える。その結果、先述の問題が起こることになるわけである。
依って、年を取って起こる問題を解決するためのキーワードは陰から陽となるわけである。食養によってもできるようだが、それは桜沢式食養に任せ、合気道ではどうすればいいのかを考えてみたいと思う。

合気道でも年を取ってきての技づかい、体づかいは陰から陽にかえなければならないと考える。陰から陽に返るとは、裏から表に返るということである。若い頃の体の裏(腹胸側)からの力を体の表(背腰側)からの力でつかうことである。この体の表の力は気の力、魂の力になり、強力で引力のある力なので、体の裏からの若い力を制する事ができるわけである。
更に、体の部位も裏ではなく表をつかわなければならない。手刀、尺骨部、足のもも、腰などである。因みに、膝を痛める人がいるが、足の裏(前側)をつかうのが原因である。

年を取ってもう一つ裏から表に返るメリットを書くと、陽気な顔、陽気な人になることである。
体の表(背中側)から気や力を出すように、顔の表(後頭部)から人や物を見ると、眼も顔つきも柔和になるし、物がよく見え、物の心も見えて楽しくなる。草花との対話も出来る。それに反して、顔の裏(顔の前面)から見ると、顔はしかめっ面になり、どうしても陰気になりがちである。見る物を評価しようとしたり、比較したり、争おうとするからである。

柔和な目、柔和な顔になれば柔和な人になる。周りの人は喜んで集まる。このような高齢者が多くなれば世の中楽しくなり、合気道が目標とする地上楽園に近づくことになる。
年を取ってきたら、陰から陽へ転換していきたいものである。