【第865回】 “ちょちょいがちょい” 〜原点に帰る〜

今、合気道を本当に楽しんでいる。命を懸けて修業しているような人にとっては、武道を楽しんでいるなど不謹慎と思われるだろう。が、事実、合気の稽古・修業が楽しいのである。他の何をするより楽しいのである。どんなに美味いものを食べようが、珍しいものに出会おうが、新しい事を見聞きしようが、合気道の稽古・修業から得た新たな発見や出来なかった事がわかったり、出来るようになる事ほど楽しいことはないのである。若い頃は、合気道よりも未知の世界や文化とより広い世界で楽しんでいたのとは大違いである。
合気道が少し分かってきたし、大先生の教えも理解出来るようになってきたのは、楽しむ事ができるようになったからかもしれない。物事の上達は好きになることであるが、楽しむ事ができれば好きよりも上達すると言われるのである。

最近、自分が合気道を始めた動機が何であったか考えてみた。合気道を始めるのは誰にでも動機があるはずである。私の場合はいろいろな事が繋がり重なって合気道に出会う事ができたわけであるが、動機もあった。
動機は単純で、かかってくる敵を“ちょちょいがちょい”とやっつけるためだった。恐らく、それまでそう出来たらいいのに思った場面もあったのだろうし、また、映画や漫画でのそのようなヒーローに憧れたのかもしれない。
勿論、ちょちょいがちょいと出来るようになるには厳しい修業が必要だろうし、そう簡単には出来ないだろうとは覚悟していた。

入門すると、ちょちょいがちょいとは程遠い稽古であった。しっかり持たせ、力一杯打ってくる手で攻撃してくるのを、それに負けないように捌くのである。これでは力がないと相手の攻撃を捌くことも、技を決めることなど難しいので、この合気道でちょちょいがちょいは難しいのではないかと思った。
しかし、数日すると海外から帰られた大先生が道場にお見えになり、徒手で技を示されたり、木刀や杖で内弟子たちを投げたり、舞を舞って合気道の真髄を見せて頂くことになった。そして合気道はちょちょいがちょいが可能であると確信し、これまで稽古を続けてきたわけである。

さて、ちょちょいがちょいとは、自分にとってどういう事なのかを改めて考えてみたいと思う。箇条書きにすると次のようである:

大先生はよく、合気道(の技)は摩訶不思議でなければならないと言われておられたのは、このちょちょいがちょいでなければならないということではないかと思う。
本部道場で長年教えておられた有川定輝先生は、合気道はシンプルだと言われていた。確かに先生の技は一教でも四方投げでも一瞬で決まっていた。故に、若い頃の演武会などでは怪我人も出たほどである。
この有川先生のシンプルを大先生は阿吽の呼吸と言われていると思う。技はアーとウンで収めるようにすれば、技はほんの一瞬で決まるわけだからちょちょいがちょいとなるわけである。

合気道の稽古も半世紀以上になったわけだが、原点に帰ってちょちょいがちょいとなるように、楽しく修業を続けていこうと再認識、再確認した次第である。