【第856回】 合気道と日常生活

合気道を始めてから60年ほどになる。大学に入ってから始めた。年は81歳になった。高齢になったが、今は合気道中心の生活を送っている。つまり、合気道を中心とした日常生活をしているということである。更に言えば、合気道を精進するため、精進するような日々の時間を過ごしているということである。大先生や有川定輝先生などほど厳しくはないがその方向にあると思っている。

今、二つの生活がある。合気道と日常生活である。そして今は、合気道が中心の日常生活を送っているわけだが、この二つの生活の関係は以前と違ってきている。それを図形で示すと次のようになる。

  1. 合気道は生活の一部で、日常生活とは別物
  2. 合気道が日常生活の一部になり、生きる上で影響を及ぼす
  3. 合気道と日常生活は同じになり、影響を及ぼし合う
今は3.の合気道中心で日常生活を送っている。生きること、日常生活を過ごすことは合気道の修業というわけである。日々刻々が修業と云う事にならなければならないということである。日々の生活で合気道が精進するようにしなければならないわけである。何故、精進しなければならないのか。答えは簡単である。自分が満足しないからである。今日生きたという実感が持てないのである。何もなかった日(そんな日はほとんどないが)は、その日と自分に対してきっと不満を持つはずである。

合気道の修業は合気道の目標に向かって精進することである。日常生きることも生きる目標に向かっているはずである。合気道も日常を生きることも共に目標に近づこうとしているわけである。それではその目標とは何かである。
合気道の目標は①宇宙との一体化 ②地上楽園建設のお手伝いであり、私の人生の目標も今は①宇宙との一体化(小乗)と②いい世の中になるためのお手伝い(大乗)である。
ここで分かるように、合気道の目標と日常生活の目標は一致しているという事である。

これからは、合気道を日常生活とし、日常生活は合気道の修業の場とし、合気道と日常生活を楽しんでいこうと思っている。