【第836回】 やる事、やりたい事、やらなければならない事は幾らでもある

合気道を半世紀以上やってきているが、80歳を超えると合気道がこれまでになく楽しくなったし、そして生きることも楽しくなった。これも合気道のお蔭だと、あらためて合気道には感謝している。
お陰で、毎日が楽しい。朝目が覚めると、今日は何があるか、何と出会えるかが楽しみなのである。そして不思議と必ず何らかの出会いがある。大きな出会いから小さな出会いまでいろいろあるが、主な出会いは合気道に関する出会いである。この出会いが教えになる。この出会い、そして教えによって合気道の上達があるわけである。大先生の『武産合気』『合気神髄』の教えと出会い、これが大先生の教えなのかと分かった時の喜びはなによりも嬉しいものである。
その他の嬉しい出会いとして、いい本、感動する新聞記事、感心するようなテレビ番組、素晴らしい音楽、テレビで人間の極限的・超人的な動きや美、子供たちの笑顔、桜の花、可憐な草花、若葉、鶯やシジュウカラの鳴き合い、盛り付けが綺麗でおいしい食事、顔を出し始めた朝陽や沈みかける夕陽、雪を被った富士山等々幾らでもある。いい出会いには感動があるが、その感動をもたらすのは合気道でいう“愛”であると思う。何故ならば、“愛”は、人類、そして合気道が求めている目標“地上楽園”“宇宙天国”の根幹であるからである。人も鳥も植物もこのために生きていこうとしているということである。

大先生は、身の回りのすべてのものから学ぶ事ができるし、悟らなければならないと次のように教えておられる。
「天地の真象を眺めて、そして学んでいく。そして悟ったり、反省したり、学んだりを繰り返していかなければいけない。要するに武道を修行する者は、宇宙の真象を腹中に胎蔵してしまうことが大切で、世界の動きをみてそれから何かを悟り、また書物をみて自分に技として受け入れる。ことごとくみな無駄に見過ごさないようにしなければいけない。すなわち山川草木ひとつとして師とならないものはないのである。」

高齢者になっても楽しい出会いと楽しい日々を送るためには、生きていく基盤が必要だと考える。私の場合は合気道であるが、人それぞれ何かあるはずである。合気道以外の武道には剣道、柔道、弓道、空手、柔術、相撲等がある。また、スポーツやダンス、それに絵画、書道、茶道、踊り、三味線、和太鼓などもある。勿論、学問もあるだろう。科学、文学、哲学、宗教等である。
これらの一つ又は幾つかを基盤として日々を楽しむのである。
基盤を持つということは、合気道で云う中心を持つということである。宇宙の中心に立つということである。中心を持つことによって、その基盤と己自身の進歩上達の有無や動きがわかるわけである。これが分かるから楽しいのである。また、もし中心を持っていないとしたら、あれがいい、これがいいと目移りしたり、惑わされることになり、自分がなくなってしまうことになる。

生きていく基盤ができれば、やりたい事、やらなければならない事がいくらでも出てくる。そしてそれに熱中すれば、暇がなくなる。若い頃より忙しく一日を過ごすようになるはずである。年を取るにつれて残り時間が無くなってくるわけだから、時間との戦いである。

大先生は、宇宙や山川草木の自然を師として学ぶだけでなく、人間世界と書物からも学び、悟り、技に取り入れていかなければならないと教えておられる。超人的で武道家、また人として完璧と思われる方が、まだまだ学ばなければならないといわれているのである。ましてや我々凡人は年を取ったからと言って学びを止めることは許されないだろう。