【第828回】 美意識を身につける

これまで80年も生きてきたわけだから、いろいろな体験をし、成功したり失敗を繰り返して学んできた。また、多くの疑問を持ち、考え、調べその疑問を解決してきた。そのお陰で、疑問を持ちながらその解決が出来ずにいた若い頃とは違い、心安らかに生きているのだと思う。例えば、自分は何者なのか。何処から来て、どこへ行くのか。こんなちっぽけな自分に生まれて来て生きる意味があるのか。生まれてもいずれ必ず死ぬ人間に、生きている意味があるのか等々書き切れないほどあった。
半世紀以上にわたって続いている合気道修業のお蔭でこれらの疑問や他のほとんどの疑問は自分なりに解けたと思っている。他人がこの疑問の解答を良しとしなかったり、駄目だしするかもしれないが、それは余り大事ではない。自分が満足出来ればそれでいいからである。

しかしながら、まだ、幾つかの疑問が解答を出せないまま残っていた。生きていく上で直接問題になる個人的なものではなかったこともあり、これまで放置していたわけだが、或る新聞記事とそこで引用された文と本によってその疑問が氷解したのである。

放置していた疑問1.は、「ソニーが第5代社長に音楽家である大賀典雄氏に決めたこと」であった。何故、技術者であった盛田昭夫社長や東京帝大理学部卒の岩間和夫社長のように、ソニーの看板である技術畑からではなく、音楽畑の人が社長になったのかということであった。
疑問2.は、「一時期、銀行が大量の理工系学生を採用した事である」。銀行は文系の業務と思っていたので、何故、銀行が理工系の学生を大量採用したのか、入社した理系の新入社員は何をやるのだろうと考えてしまった。
疑問3.は、「以前、オーム真理教が世間を騒がせたが、その教団幹部たちはエリートで高学歴でしめられていた」であった。高学歴のエリートたちが何故あのような事件を起こしたかという疑問であった。

また、最近、同じような不可解な社会現象が起こっていて、その理由や原因を知りたいと思っていた。
例えば、「上記の大量の理系学生を採用した銀行が衰退していること」である。また、安泰であるはずの大手企業も低迷したり、不祥事を起こしていることである」。例えば、東芝の粉飾決済、三菱自動車の燃費データ偽装、電通の水増し決済である。
これに反して、「業界や分野が不振でも、業績を上げている企業もある」。例えば、PCは不振であったが、創業者のスティーヴ・ジョブスのアップルコンピュータ社は違っていた。また、日本の衣料業界は不振であるにもかかわらずユニクロ製品はよく売れている。生活用品や雑貨の売り上げが低迷しているのに反して無印良品が売れているという。

これらの疑問が解けたわけである。これらの疑問を氷解してくれた媒体は「日刊工業新聞『産業春秋』(2022.2.7)であった。ここには次のように書いてある:「ビジネスを論理や理性だけで進める時代は終わった。グローバル企業では今、経営学修士(MBA)よりも、アートを学んだ美術学修士(MFA)が重宝されている。
作家の山口周さんは著作「世界のエリートはなぜ『美意識』を鍛えるのか?」で指摘する。直感や感性に基づくビジネスが今後一層伸びることは容易に想像がつく。」

これでこれまでの疑問の多くがこれで氷解したが、更に山口周さん著作の「世界のエリートはなぜ『美意識』を鍛えるのか?」を読んでみるとますますそれがはっきりした。彼は、
日本の企業の不祥事の元凶は、「現在の日本企業の多くは、経営に関わる人たちの美意識がほとんど問われず、計測可能な指標だけをひたすら伸ばしていく一種のゲームのような状態に陥っていて、それが続発するコンプライアンス違反の元凶になっています。」という。

「これからの企業は、「経営トップに“アート”を据え、左右の両翼を“サイエンス”と“クラフト”で固め、経営パワーバランスを均衡させることである。その典型的なのが、創業期のウオルト・ディズニー社、創業期の本田、80年代のアップル社等である。」という。

また、「経営者は会社のミッションに基づいて意思決定することが必要になるため、経営者の『直感』や『感性』、言いかえれば『美意識』に基づいた大きな意思決定が必要になります。」と言っている。

そして、何故、エリートは美意識を高めなければならないかに対して、
「世界のエリートが必死になって美意識を高めるための取り組みを行っているのは、このような世界において『より高品質の意思決定』をおこなうために『主観的な内部のモノサシ』を持つためということです。」という。
その美意識を高めるためには読書がいいと次のように言っている:
「偏差値は高いけど美意識は低い」という人に共通しているのが、「文学を読んでいない」という点であることは見過ごしてはいけない何かを示唆しているように思います。」

この本のまとめで著書は、
「本書が、世の中で通説とされる『生産性』『効率性』といった外部のモノサシではなく、『真・善・美』を内在的に判断する美意識という内部のモノサシに照らして、自らの有様を考えていただくきっかけになれば、著者にとってこれほどの幸福はありません。」と結んでいる。

合気道も求めるモノは『真善美』でもあるから、美意識も高めなければならないことになり、その内部のモノサシの精度を上げていかなければならないと考える。