【第823回】 自分を忘れている

この世は自由資本主義、グローバリゼーションが進んでいるが、多くの歪みが顕著になってきている。金持ちは増々金持ちになり 貧乏人は増々貧乏になる。ますます、貧富の差が開き、不平等になってきている。これは世界的な傾向にある。
縄文時代、中世時代、近世時代よりも豊かになって、物が捨ててしまうほど豊富にあるのに、現代は十分食べることもできず、着るモノや住むところにも事欠く人が大勢いるという、昔より貧しくなっているような面もある。
日本の社会を見れば、自分の家庭を犠牲にして仕事に打ち込み、残業や休日出勤をし、挙句の果て過労死になる人が大勢いる。また、人を必要としている会社や業種があるのに、仕事が無い人が大勢いるという矛盾もある。
自分が必要ない、居る必要がないと思って自殺する人もいる。特に若者の死因の第一が自殺であるのは悲劇である。

コロナウィルス感染により社会活動がこれまでのように機能しなくなり、国際間の人的交流も滞っている。
このような世の中にあって、人は大いに混乱し、不安を感じ、そしてどうすればいいのか暗中模索しているように見える。
政府や公的機関は、これらの問題解決を図ったり、図ろうとしているが上手くいっていない。予算の関係や民主主義のもと、関係者と話し合い、多数決で決定しなければならない等の理由があるが、いずれにしても渦中にある国、人は政府や行政の仕事ぶりに満足していない。
その最大の理由を私は、合気道的に云えば“愛が欠けている”ということであると思う。渦中にある民の立場になり、本当に問題を解決しなければならない、解決しようと思うなら出来るはずだし、もし、出来なくとも民は、そこまでやってくれたのだからと納得するはずである。人はその愛の欠如に不満なのである。

まわりの人々を見ていると、右往左往し、足が地に着いていなくて浮ついているように見える。上記のような問題や混乱が日常横行しているわけだから、人は正しい判断ができなくなるし、時として間違った情報に躍らせられ、何が正しく、何が正しくないのかが分からなくなってくるのだろう。しかし、最終的には自分で判断し、実行しなければならないことになる。

自分に出来ることと出来ない事がある 自分でできる事は自分でやり、出来ない事は他に任せる。しかし、自分は何が出来て、何をすべきなのかがわからなければ、それは出来ない。自分ができることや、やるべき事がわからなければ、自分の出来ることや、やるべき事を他人任せにするし、その悪い結果も他人のせいにする。
合気道の稽古で説明すれば、相対稽古で技を生み出していくわけだが、大事な事は、その技がどれだけ宇宙の営みに近づけるかということである。これが自分のやるべき事であり出来る事である。相手の受けはその技の結果倒れてくれるわけで、これは相手が出来ることであり、自分が出来ること、やるべきことではない。また、自分がしっかり技を生み出してつかわなければ相手は倒れないわけだが、その出来なかった事を相手のせいにしてしまい、倒れない相手が悪いとしてしまう。

過って大先生は、「今の世は、大いなる迷信に陥って、自分を忘れている。嘆かわしいことです。」と云われていた。
自分を忘れ、失っていると、今の世で本当に何が大事なのか、自分は何をすべきなのか、他は何をどうすべきなのかが見えなくなる。故に、忘れている自分を取り戻さなければならないわけである。

それでは忘れている自分を取り戻すためにはどうすればいいかという事になる。それは自分を知る事である、と大先生は教えておられる。そして自分を知るためには合気道を修業するのがいいと、次のように言われている。
「人々はすべからく合気の道に修行すべきです。そうすれば、忘れていた自己を知る事が出来ます。」
確かに、合気道を修業していると自分が分かってくる。自分の出来ること、出来ない事、また、宇宙と一体化する自分が分かってくる。自分が分かる事は、宇宙が分かる、つまり、世の中を知るということになるわけである。