【第794回】 技は布斗麻邇で

「合気は天の浮橋に立たされて、布斗麻邇の御霊、この姿を現すのであります。これをことごとく技に現わさなければならないのです」(合気神髄P.153)との教えに従って、布斗麻邇の御霊の姿を技に現わそうと稽古をしてきた。
布斗麻邇の御霊の教えに出会ったのは昨年の12月であるから、約半年が経ったわけだから、布斗麻邇の御霊の姿を技に現わそうと半年間挑戦していたことになる。初めは何が何だかさっぱり分からなかった。まず、布斗麻邇御霊の姿というの意味が分からなかった。○に□、○の中に|や━や十字が何を意味するのか分からない。救いになったのは、大先生の言葉とこれまでの大先生の教えである。大先生の言葉である「合気は天の浮橋に立たされて、布斗麻邇の御霊、この姿を現すのであります。これをことごとく技に現わさなければならないのです」を信じる事である。もしこの言葉が信じられなければ技にならないということであるから、この教えを無視することは出来ず、何としてもこの難題を乗り越えなければならないと思ったわけである。
もう一つは、これまでの合気道の教えである。これまでの教えを結集すれば、この難問が解決できるのではないかと考えたわけである。これに最も役立った教えは、「○は吐く息(水)、□は引く息(火)」であるという教えであった。そうすると、この七つの御霊の初めの五つの御霊は○であるから、息を吐き続けることになる。問題は、この○と□の中に|や━や十字があることであるが、これも。━は伊邪那岐神の火(引く息)、|は伊邪那美の水(吐く息)、成り合わぬモノが成り合って十字との教えから、これを○の吐く息の中、□の引く息の中でつかえばいいことになるわけである。

この布斗麻邇御霊で技をつかってきた。お陰で大分技につかえるようになってきたが、どこかしっくりしないことが多い。何か間違っているのか、どうすればいいのかよく解らなかったが、はっきりしたことは、技はこの布斗麻邇御霊の姿に合わせてやらなければならない事を確信できたことである。それ故に、上手くいかないという事は己の技づかい、体づかい、息づかいなどに問題があるはずなので、その問題点を探して直していけばいいと思った。

そして、ようやく、布斗麻邇の御霊の姿を技に現すということはこういうことかと実感出来たのである。これこそ合気の技であると思えるのである。
それは、これまでもっとも多く稽古をしてきている「片手取り呼吸法」であった。で天地と結び、で相手に手を取らせ、腹の気を横に引き、で腹の気を縦に出すと腹の中に十字ができ、気が胸に上がってくる。ここまでは息は吐いているが、気が胸に上がるところから息を引く(吸う)ことになり胸に十字ができとなる。尚、は腹中にできる十字、は胸中にできる十字である。後は、の上にを載せて収めるのである。

これは必須であり、基本であるが、実はもう一つ重要なポイントがあったのである。これが加わることによって、更に上手く出来るようになったのである。
それは、これまで鍛錬していた“イクムスビ”の息づかいである。イーと息を吐いて、クーと息を引き、そしてムーと息を吐くのであるが、この息づかいは実は気の鍛練なのである。イーで手を出して(縦)相手に掴まえたら、クーで掴ませた手を息を引き乍ら横、上下、縦に気を出すのである。相当な力(気力)が出るものである。後は腹中で十字をつくり、ムーで息を引き乍ら胸中に十字をつくるわけである。

この布斗麻邇御霊とイクムスビの息づかいで片手取り呼吸法は上手くいくようなので、これで他の技もつかっていけばいいと思っている。
上手くいかないとしたら、この二つのつかい方が不味いか、技の土台となる魄の力がまだ弱いということだと考えればいいだろう。