【第789回】 大和言葉

年を重ねてきたお蔭で、いろいろな事が分かってきたし、これまで見えなかったものが見えるようになってきた。傘寿になって一人前になれるかと期待していたわけだが、その期待は早くも裏切られた。
それはこれまで80年間つかってきた言葉である日本語もよく分かっていない事に気がついた事である。日本語の構成、日本語の特徴、日本語の素晴らしさ等に気がついていなかったのである。学校でも社会でもこの素晴らしい日本語を学び、少しでも素晴らしい日本語を使うようにしようと努力してこなかった。学校では、漢字を覚える事や文法が主で、日本語の魅力や外国語との違いや特徴等は学ばなかった。だが、日本語よりも英語やフランス語やドイツ語を勉強し身に付けた。外国語を勉強したのもよかったが、今になると、もっと日本語を勉強すべきだったと思うのである。

日本語を勉強しなければならないと思ったきっかけはやはり合気道の修業である。合気道を身に付けるためには日本語ができなければならないということが分かったのである。とりわけ、日本語でも大和言葉である。

日本語は漢語と外来語と生粋の日本語である「大和言葉」で構成されているという。漢字の読みで、音読みで発音されるのが漢語。訓読みが大和言葉。中国以外から来た言葉で、多くはカタカナ表記のものが外来語であるという。(『心に染み入る日本の美しい大和言葉』高橋こうじ 実業之日本社)
大和言葉には素晴らしい特徴があるという。例えば、言葉の一音一音が心に染み入り、心に響き、感動を与える。それで思い当たるのは、万葉集や古今和歌集などが今でも多くの人に愛されていることである。これまでその素晴らしさが分からなかったが、これで分かるようだ。
また、源氏物語などの物語、枕草子や徒然草などの随筆、「ふるさと」や多くの唱歌なども大和言葉で出来ていることも分かった。

また、古事記も大和言葉で記されている。因みに日本書紀は漢語・漢文である。合気道の修業をしていくと、どうしても古事記と対面するようになるし、大和言葉がある程度わからないと理解できないようなのである。大先生は、合気はフトマニ古事記でやらなければならないと教えておられる。
しかし、当時の大和言葉を理解するのは容易ではない。その最大の理由は、大和言葉は一音一音に意味があり、そしてその音が繋がって形が出来たり、動きを現わすからだと思う。合気道では、古事記で最初に出会う大和言葉は、例えば、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)であろう。これを大和言葉を知らなければ、漢語で訳してしまうので、本当の意味が分からない事になるし、フトマニ古事記の合気道にも進めない事になる。
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)を、大先生も一時身を置かれた大本教の教典『大本言霊学』(出口王仁三郎著)は次の様に大和言葉で説明している。
アは天、メは巡る、ミは中のこと、ミナカとは中に中をかさねた正中のこと。ヌはノの濁で、シはシルシの約。カミとは、カラミのラ言の省きのカミであり、火水であるという。

祝詞には古事記にある多くの神様が大和言葉で語られている。合気道の毎年開催される合気大祭では、皆で二つの祝詞を唱えるが、これも合気道の大事な教えである事がわかる。
大和言葉は、上品であり、和やかに相手の心に染み入るとも云う。例えば、現代語の「とても」「非常に」に対し、大和言葉は「このうえなく」「こよなく」である。また、「恐縮です」に対して「ありがとうございます」「恐れ入ります」である。

合気道のためにも、そして日常生活のためにも、これから大和言葉を勉強していきたいと思っている。古典を読んだり、唱歌を詠ったり、祝詞を唱えたり、大和言葉で話をしたり、文章をつくったりしたいと思う。


参考文献
『心に染み入る日本の美しい大和言葉』高橋こうじ著 実業之日本社
『大本言霊学』(出口王仁三郎著)