【第770回】 やり切る事に満足

年を取ってくると、若い頃と違ってきていることを自覚する。残念に思うこともあるが、年を取った方がいいと思う事も多い。
若い頃は、何でも効率よく、時間内に成果を出すようにしていた。それが仕事や社会が要求して事であり、若者の体も心もそのように機能していたし、それが“やった!”と満足することになったのである。
合気道の稽古でも、相手を投げたり、抑えるという結果を重視し、素早く、力強く技を掛け、受けを取る事に重点を稽古に置いていた。

年を取って来て、70歳後半ぐらいになると、プロセスを大事にし、プロセスを楽しむようになってきた。勿論、いい結果や成果を上げるためにやるのだが、結果よりもプロセスを大事にしてやった方が重要であり、楽しいのである。また、プロセスが上手く出来れば、いい結果・成果に繋がる事を確信しているからでもある。

このプロセスを重視し楽しむことは、日常生活に於いても、また合気道の修業に於いてもかわらない。
食事にしても、今、体と心が一番欲しているモノを感じ、摂ることにしている。そして目や鼻や舌や胃・体などに満足して貰えるよう、出来るだけ味よく、栄養や色取りのバランスよくする。また、食欲をそそるために、食にあった食器(漆の食器や橋、銀のナイフやフォーク、クリスタルグラス等)を選んで使うようにしている。
どこかに出掛けるにも、買い物に行くにも、散歩に行くにも、出掛ける前、またその途中で出来るだけ頭を絞って、やるべき事、どうするのがいいのか等を考えるのである。この考え尽くすことが楽しく、やったとか生きているという実感が持て、その事、その時、その日を満足するのである。

年を取って来ての合気道の稽古や修業に於いては、先述のようにプロセスを楽しむようになるわけだが、ここから更にいろいろと学ぶことになる。
その一つは、技をつかうに当たって、一挙手一投足を大切にするようになることである。若い頃は、そんなことを気にせずに、手足を動かしていたが、今度は手、足、首、体を理合いでつかうようになる。体の手先から足先までの各部位の役割や働きの理を見つけ、その理で体と技をつかうようにするのである。この意味で、若い頃は体を無茶苦茶につかっていたということになる。

年を取ってくるとお迎えの時が迫ってくるし、残された時間が限られてくることを実感するようになる。しかし、ここでジタバタしたり、自暴自棄になっても仕方がない。急いでも仕方がないし、無駄だと思う。それより残る時間、じっくりと最善をつくして物事、稽古をする方がいいと思う。何故ならば、お迎えが来た時、きっとやり切ってきたことに満足するはずだからである。

後で後悔しないように最善を尽くすのである。手抜きをしたりして最善を尽くさないと、後で後悔することになる事が分かっているからである。最善を尽くしたと思えれば、結果が悪かったとしても諦めはつくはずである。