【第769回】 己を甘やかさない

人間はどうしても楽な方へ々々と、己を甘やかしてしまうようだ。その傾向は年をとって、高齢になるに従ってより顕著になってくる。特に高齢者になってくると、高齢にこと寄せて甘やかしてしまいがちになる。疲れる事はやらない、これは疲れるからやらない、やる必要がないことはやらない、そして出来るだけ何もやらないようになり、体を動かさない、頭を使わないという事になっていく。

人は高齢になれば、仕事に行き働く必要は無くなる。体も頭も厳しくつかわなくなってくる。若い内はこのように、己を厳しくし、そしてそのご褒美に甘やかすとバランスがとれた。厳しさに耐え、頑張ってくれた体や頭(心)にお礼や感謝の意味で、お酒を飲んだり、お茶をしたり、音楽を聞いたり等で甘やかすのである。
仕事が無くなった高齢者には、このバランスが欠けてしまう傾向にあるのである。何故ならば、先述のごとく、人は楽しよう、まあいいだろう等と己を甘やかす傾向にあるからである。若い内は、厳しく働き生きる事は必須であり、己を厳しくせざるを得ないが、仕事の無い高齢者はこの厳しさが無くなり、これまでの厳しさから、その反動もあって己を潤沢に甘やかせるようになる。とりわけ、仕事を定年退職した頃は、誰もがそうするだろう。また、それを定年間近になると夢みて働くはずである。

しかし、定年退職して数か月、数年と、仕事に行かず、働かないでいいのだと、夢みた生活を楽しむが、徐々に仕事をしていた頃が懐かしく、そして仕事をしていた方が自分は満足していたのではないかと思うようになるはずである。
その原因は、甘やかしと厳しさのバランスが欠けるからであると考える。
甘やかすことと厳しくすることの両面があってバランスが取れるが、厳しさが欠けるとそれが崩れるのである。

それでは己を厳しくする、甘やかさない生活はどのようにすればいいのかということになる。
先ず最初に知るべきことは、頭も体も甘やかすだけでは喜んでくれないということである。それは頭を絞り切って使った後の頭の声、汗びっしょりになって運動や動作をした後の体の満足した声を聞けば分かるはずだ。稽古の後の稽古人の輝く顔がそれを示している。頭も体も出来るだけ働きたいのである。
次に、頭(心、精神)と体のバランスをとることである。高齢者にならない若い働き盛りの時分でも、このバランスは必要である。そのバランスのため、例えば、厳しい仕事をしている若者でも、忙しい時間を割いて合気道の道場に通ってくるのである。彼らは頭(心、精神)に厳しく働いてもらっているが、体はその割に働いておらず、言うなれば、甘やかされているのである。
このバランスを取るべく、合気道の道場で体を厳しく鍛えようとしているのである。仕事と違って、合気の稽古は自由意志であり、別にやらなくてもいいわけだが、多くの人たちが稽古に来るのはこの為だと考える。

頭(心、精神)だけ酷使されて体をつかわないと、何かおかしいと感じたり、不満となる。これはバランスが欠けた結果だと考える。合気道的に考えれば容易に分かる。陰陽、表裏、魂魄、身心など表裏一体になって働かなければならないということである。これが宇宙の営みにマッチし、自然だからである。

仕事をしている若い頃でも、体を鍛えて、体に厳しさを与えるのだから、仕事のない高齢者は更に体に厳しくしなければならない。何故ならば、年を取るにつれて、体の衰えの速度が速くなるかである。その衰えの速度に追いつかれないようにしなければならないのである。

私自身も体の衰えの速度に追いつかれないように挑戦している。その基本は毎朝の禊である。毎朝、2−3時間、頭のてっぺんから手や足の先まで体を鍛えたり、技を研究したり、また詔を上げる(体にもいい)。この後は水での禊ぎである。夏の暑い朝は勿論のこと、冬の寒い朝でも水をかぶった後は体が喜んでくれる。勿論、かぶる前は、体は緊張したり、拒否したがることもある。
稽古がある日は、更に道場で体に厳しく働いてもらうことになる。稽古のない日は、1,2時間散歩をすることにし、家を一度は出ることにしている。歩いて体を刺激するのはいい。頭が働き、難解だった問題の答えが出てくれたり、必要な事を示唆してくれ、いいアイディアをもたらしてくれる。

勿論、頭にも刺激を与えたり、厳しく働いてもらうようにしている。『合気神髄』か『武産合気』を毎朝読み、週4つの合気道の論文を作成し、また、毎日、機械関係の記事を切り取り翻訳し、毎月一つレポートをつくっている。

年を取ってきたら、己を甘やかさないようにしなければならないと思う。