【第764回】 段々無欲になってくる

前から書いているように、毎日、『合気神髄』か『武産合気』を少しずつ読んでいる。読む分量は一章とか一文とか又区切りのいいところで、それが長ければ途中の区切れのいいところまでである。『合気神髄』が終わったら、『武産合気』に換え、初めから最後まで読むことを繰り返している。もう何回読んでいるか分からないが20,30回ぐらいにはなるだろう。初めはチンプンカンプンでほとんど分からなかったが、回を重ねるに従って難解である大先生の教えが一つ二つ、そして十、二十と氷解してきた。お陰で大分わかってきたようで、これまでこの書に対面するのが苦痛であり、ちょっと決心が必要であったが、最近では、今日は何を教えてもらえるのか、毎朝の対面が楽しみになってきたほどである。しかし、まだまだ分からない事は沢山ある。昔から、“読書百遍 意自ずから通ず“と云われているから、100回読めば分かるようになるだろうと思っている。

今日、読んだところは、『合気神髄』の「世の中は無欲の者の所有になる」(P.47)で、“一つの道を貫くためには、他のことには無欲になって進まねばなりません”という教えである。
しかし、これは現実世界ではなかなか難しいのは周知の通りである。また、無欲になろうと合気道を修業しても、無欲の稽古は難しいものである。どうしても相手を投げよう、極めようとしたり、相手の力に負けまいとしたりしてしまうものである。
だが、合気道を精進したければ無欲にならなければならないことは確かであるから、何とか無欲になる努力をしなければならないことになる。
それではどうすればいいのかという事である。有難いことに、これも大先生は教えておられるのである。

もう一度先述の“一つの道を貫くためには、他のことには無欲になって進まねばなりません”を見てみる。“一つの道を貫くためには”とは、合気の道を貫く、やり通すためには、ということにもなるわけだが、実際にはこれは容易な事ではないのである。外的要因の仕事が上手くいっていること、家庭環境に恵まれている事、経済に余裕がある事等、また、内的要因の肉体的及び精神的に健康である事等の条件がそろわなければならないからである。また、この条件の一つでも欠けるような事があれば、一つの道の合気道を貫くことが出来なくなるのである。

“一つの道を貫くために”欠かせない事を簡単にまとめてみると、経済と健康に絞られるだろう。
それ故、合気道の修業に於いては先ず、健康を大事にしなければならないことになる。しかし、合気道は健康法でもあると云われるように、正しく、つまり、合気道の教え、大先生の教えに従っていけば健康になるわけだから問題ないはずである。合気道は技と体を練って精進していくが、技と体を宇宙の法則に則ってつかえばいいわけである。法則を見つけ、技と体で試し、技と法則を会得していくためには無欲でなければ決して出来ないはずである。相手を負かそうとかやっつけようなどとの邪心、つまり欲があればこの会得は出来ない。

次は経済である。勿論、経済についても大先生は教えておられる。この経済に関しては、同じ『合気神髄』「世の中は無欲の者の所有になる」にある。多少長いが、その経済に対する文を引用する。「世の中はすべて根本は経済であります。経済が安定してはじめて、そこに道が拓けるのであります。我が国の経済は精神と物質と一如であります。日本では「売る」方が先であり、日本のはすべて「誠」を売り込む、「愛」を売り込むのであります。武道におきましても、まず愛を売り込み、人の心を呼び出すのであります。」

この教えから、経済は生きていく上での土台で大事であり、安定させなければならない。経済が安定しなければ一つの道の合気道も貫くことは出来ないのである。また、経済には精神面と物質面の二面が重なり合っている。そして経済が安定するためには、先ず「誠」と「愛」を売り込むことである。「誠」と「愛」を売り込むことによって、経済は安定するということである。合気道に於いても、まずは「愛」と「誠」を出し、相手の心を引き出せばいいということになるだろう。これも無欲ということになる。「愛」とは、宇宙楽園建設のためにお互い稽古を頑張ろうということで、宇宙に対し、そして相手に対しての愛ということになる。「誠」とは、出す技は宇宙の法則に則った、宇宙の営みの誠であるということになろう。

若い内は、社会生活でも稽古でも無欲になるのは難しいものだ。物質文明の競争社会の真っただ中にいるからだ。仕事を辞め、競争社会から離れれば、『合気神髄』や『武産合気』をじっくりと読んで、考えることが出来るようになるだろうし、無欲の稽古も出来るようになるだろう。
傘寿に近くなってきて段々と無欲になれるような気がしてきたところである。