【第743回】 気を感じ、つかう

これまで“気”を長年に亘って研究してきた。しかし、その結果は惨憺たるものであるといえる。気の定義とか気とはこんなものであるといわれる説明は、大先生の教えを引用すればいいのだが、実際にはよく分からないのである。
そこで気の研究法を変えなければ、”気“は分からないということが分かってきた。”気“はこのようなものであるとか、定義するなど頭で分かるのではなく、体で分かる、つまり、体で感じ、体でつかうように出来るようにするのである。何はともあれ、取りあえずこれでやる事にする。
お蔭様で、ほんの少しではあるが“気”について分かってきたことがある。

まず、技をつかう際に心と体を結んでつかわなければならないが、先ずはこの異質の心と体は息で結ぶ事ができるし、そうしなければならないと書いてきた。これを基に、今度は息の代わりに心と体を気で結んで技にするのである。そして慣れてくると、それまでつかっていた息が“気“に変わっている事がわかるはずである。息には限界や制限があるが、気は自由で限界がないようだ。気は長く吐いたり吸ったりすることに限界がないし、剛柔流自由自在につかえる。

息が気に代わってくると、今度は気が息を微妙に変化させることになるのである。つまり、気で息をつかうということである。これを大先生は、「気の妙用は、呼吸を微妙に変化さす生親(いくおや)である。気の妙用によって、身心を統一して、合気道を行じると、呼吸の微妙な変化は、これによって得られ、業が自由自在にでる」と云われているのだと思う。
気で息が自由につかえるようになると、技も変わってくる。自由自在の技になるのである。

次に、己の体に気を満たすことによって気を感じることである。まず、息を吐いて腹を締め、そして腹を緩めると体中に気が入って、体が気で満たされる。何故これで気が出てくるのかと云うと、吐く息の水と引く息の火の働きである。大先生が言われる「火と水の交流によって、気というものができる。人が呼吸しているのも、火と水の交流による。」である。

更にこの気は天と地と結ぶ。天に昇った気と天の気が結ぶのを感じるのである。この己の気と天の気を結び、天の呼吸(日の息と月の息)で地に落し、そして地の呼吸に合わせて技を生み出すのである。これを大先生は、「天の気によって天の呼吸と地の呼吸を合わせて技を生み出す」と云われているということが分かるのである。

“気”はまだまだ研究しなければならない事があることは分かっているが、取り敢えずできる事から始めるしかない。これが新たな“気”の研究のスタートである。ただ、このようにこれまでの理論ではなく、実感を重視し、それに理論づけした研究法を取っていく事にする。これからどんなことが分かってくるのか楽しみな所である。