【第725回】 この世は悉く天の浮橋なのです

歴史的に見ても、人類の歴史は争いの歴史といっていいほど争いに満ちた歴史であったと思う。というより争いによって、また争いの為に科学が発達し、経済が発展したともいえよう。しかし、過去はともかく、科学が発展し、経済的に豊かになり、人間も利口になったはずの現在においてもまだまだ争いは絶えないし、しかも過ってなかったような悪質の争いが増大していることを危惧している。

争いにもいろいろある。大きくは国家間の争いから、小さいものでは個人的な争い等である。また、個人的な争いには、個人と個人の争いと、個人の心の中の争いもある。
勿論、国も社会も個人も誰もがどんな争いも避けたいと願ってはいるが、効果が上がらず、争いは無くなるどころか、どんどん増えているように思える。何とかしないと大変なことになるはずである。

合気道の目標には宇宙との一体化という目標がある。これは個人的な目標で、所謂、小乗の目標と云っていいだろう。この小乗の目標に加えて、合気道には大乗の目標がある。それが地上天国建設である。地上楽園の完成への生成化育のお手伝いをすることである。
合気道をつくられた植芝盛平翁は、地上に争いなどのカスが溜まることは、これまでの地上の人類や科学や経済が発展してきたためには仕方がないとしながら、溜まったカスを取り除いていかなければならないとも言われているのである。

それではどのようにすれば地上に溜まったカスが浄められるのかというと、見えるモノだけを大事にしないで、見えないモノも大事にすることである。
これを物質文明から精神文明に変えるという。簡単に言えば、見えるモノ、例えばお金や物を重視するのではなく、見えない心を大事にするということである。
これを合気道では、モノの魄を裏にし、魂を表に表わすという。魄の体を土台にし、その上に心(魂)を出し、そして魂で体をつかうということである。従って、魄の金やモノを軽視するのではなく、心が働くための土台になるのである。
この魄と魂が表裏一体で、魂が上(表)になり、そして少しの隔たりがない状態を「天の浮橋」という。

世の中がこの「天の浮橋」に立てば、争いのない世界になるのである。心と心が通い合い、心で生活や活動をしていくのである。これを「三千世界一度に開く梅の花」ともいわれ、合気道では「魂のひれぶり」といい、また、法華経の念彼観音力であるという。つまり、仏教も天の浮橋を求めているということである。
何故、合気道では「天の浮橋」に立たなければならないのか、そして合気道とは別世界、別次元である世界でも「天の浮橋」に立つようにするかというと、合気道開祖は、「この世は悉く天の浮橋なのです」と言われているからである。つまり、合気道でも生活の場である職場でも、学校でも、どこでも「天の浮橋」でなければならないからなのである。この世の悉くが「天の浮橋」になれば、争いのない地上天国になるからである。

合気道では、先ずは己自身が魂のひれぶりを身に付けるように稽古をしているが、それによってまず合気道家が地上天国完成のために生成化育し、そして社会で生成化育をしている方々のお手伝いをしようということである。

時間はかかりそうだが、この世が天の浮橋に立つようになれば、争いのない地上天国が完成するはずである。残念ながらこれは合気道の教え以外はないように思えるので、ますます合気道家に頑張ってもらわなければならないと願っている次第である。