【第711回】 一つの事をやることは万の事をやること

合気道を始めてほぼ60年になるが、ようやく合気道を修業しているという実感が持てるようになってきた。これまでは道場に稽古をしには行っていたものの、汗をかき、技を覚えはしていたものの心の底から合気道をやっているという感覚も感動もなかったし、他人に合気道をやっていますと胸を張って言えなかった。そしてこれが合気道の稽古というものであろうと思おうとしていた。

合気道の修業に入ったという感覚は、合気道の修業でしか得られない事が見つかり、身につけることが出来るようになったからだと思う。例えば、宇宙が水火で十字に営んでいるように、人も陰陽十字で動き、人の体は十字に機能するように出来ているから、技と体は十字に使わなければならない。そして、十字にするにも、その十字のロックを外すのも息でやる等である。また、
息は天地の息と地の息(潮の干満)に合わせてつかう。空の気を脱して真空の気に結ぶ等の他多々ある。このような事を合気道以外では教えていないだろう。

合気道の教えが色々な教えに結びつく。例えば、魄を土台にして魂が上になって、魄を導かなければならない。→ここから魄は大事だが、魄に頼ってはならない。→そして又ここから経済は大事だが心(愛)でこれを使わなければならない等である。今の世界的な争いや問題を解決させるためにはこの合気道の教えしかないだろうと思う。

また、合気道を修業し年を重ねていくと、他のモノには段々興味が無くなっていく代わりに、合気道に興味と情熱が集中していくようになる。しかし、合気道だけしか知らない合気道馬鹿になるわけではなく、その反対になるのが面白い。一つの事をやることは万の事をやることになるのである。
これまでは興味がなかったような、合気道に関係があったりなかったりする本や文章を読むようになったし、それが増々広範囲になっていく。これから先どんな分野のどんなモノを読むのか楽しみである。因みに今読んでいるのは『法華経』の解説書である。その前は西田幾太郎の『善の研究』であった。また、『法華経』の解説書(NHKテキスト)が終わったらば、『平家物語』の解説書(NHKテキスト)を読むつもりである。
以前だったら決して読もうと思わなかったし、自分でもお前、気でも狂ったのかと言いそうな変化である。

本だけではなく、美術展や展示会にも頻繁にいくようになった。最近行ったのは「正倉院展」「遊びの流儀展」「東山魁夷展」「奥村土牛展」等である。
使用者や制作者の気持ちが伝わってくるようで、見るだけでなく作品からの心の響きが楽しくなってくる。

また、自然にも目と心が向かうようになった。青空、曇り空、台風、木々の緑や紅葉、木々を飛び交う小鳥と小鳥たちのコミュニケーション等々。また、それらの裏にある気持ちが分かってくるようである。

一つの事、私の場合は合気道をより深く探究していけば更なる興味が湧き、万の事に興味を持つことになると思っている。真の合気道をやるということは、見える世界、魄の稽古ではなく、見えない魂の学びになるから、見えない心が大事になってくるわけである。興味が持てる万の事はその心が素晴らしいということになり、見えない心に感動するということだと思う。

あれこれ手を伸ばすやり方もあるだろうが、私は「一つの事をやることは万の事をやること」で行きたいと思っている。