【第699回】 若い頃の集大成

年を取ると、己の若い頃の生き方の良し悪しがわかる。高齢者は若い頃生きてきた集大成であることがわかるのである。

人は楽しよう、経済的、合理的、安全第一に行こう、近道をしよう等とするものだ。とりわけ、若い時は、これでやって上手くいったと思っていても、年を取ってそれを再評価するとよかったとは言えない場合が多いし、逆の方がよかったと思うことが多いはずである。
まわりの高齢者を見ていると、多くの高齢者は己の今やこれから先に満足しているようには見えない。子供のようなきらきらした目ではなく、人生を楽しんでいない曇った目であり、しょんぼりした姿である。子供のような光りはなく、影が薄い。

若い頃のこれはと思える集大成するモノがほとんど無いということである。只、学校に行き、会社で働き、朝起きて夜は寝、飯を食べでは、充実して生きているという実感が持てないだろうから、高齢者のための集大成するモノもないということになるだろう。勿論、多くの高齢者はこれでいいと満足しているだろう。それは本人がきめることだから、本人が満足しているならそれはそれでいい。
しかし、ここで問題にしているのは、満足していない高齢者である。例えば、リックサックを担ぎ、帽子を被り、時間を持て余すよう、所在なく街を歩いたり、図書館やデパートなどで時間をつぶしている高齢者たちのことである。
彼らが生き方を変え、残りの人生を楽しみ、生きていることに喜びと感謝ができるようになるかどうかは、本人次第で解らないが、若い人たちがそのようにならないための警告とアドバイスをしたいと思う。
お節介であるかもしれないが、それには理由がある。それは、人が生きていることに喜びを感じなくなれば、世の中は荒廃し、破壊してしまう危険性があると思うからである。子供も高齢者も生きていることに喜びを感じ合いながら生きる世界、合気道で云う、地上楽園の建設をしていきたいからである。

先述したように、人は楽しよう、経済的、合理的、安全第一に行こう、近道しようとやる傾向があるが、若者はこれにできるだけ逆らうべきだと思う。社会を変えるのは若者であり、若者しかできないはずだからである。若者は年寄りの真似をしたり、世間に迎合すべきではないと思う。
若い内は、楽を避け、冒険と挑戦をし、社会や大人たちの不合理に反抗すべきである。安全に敷かれたレールを行けば、楽で安全で、親も会社も喜んでくれるだろうが、退職し高齢になるとほとんど何も残らす、これでよかったのか、あれをやっていた方がよかったのではないかと思うようになるはずである。そして、高齢になると、仕事がなくなり、単調な日々を過ごすことなり、退屈な人となることになる。

子供の時は、子供らしく遊ばなければならないだろう。子供の遊びには、人として身につけなければならない教えがあると思うからである。今の子供にはどんな遊びがあるかよくわからないが、我々の頃には、鬼ごっこ、かくれんぼ、竹馬、たこ揚げ、メンコ、ビー玉、コマ、縄跳び、ゴム跳び、三角ベース、野球、泳ぎ、かるた、双六等などあったが、どれも一生懸命にやった。今思えば、これらの遊びで、己の能力や才能、それに馬鹿さ加減がわかったし、己の能力や才能が伸ばされたと思う。子供の時の遊びも高齢者の集大成の一部になるはずである。

私ごとになるが、私の高齢者としての集大成している大きな部分に、冒険心がある。自分のいた小さな世界からの脱出である。小さな田舎から東京へ。東京や日本から海外へである。当時は大学を出れば一流企業に就職できたわけだが、就職と安定から不自由と不安への冒険に出たのである。やりたいことはやる、行きたいところには行くという信念に従ったのである。どうなるかはわからなかったが、不安はなかった。自分の身体は健全だし、一生懸命に生きれば、死ぬことはないと思った。もし、自分が餓死するようなことがあれば、世界の人々のほとんどが餓死することになるだろし、最早、そのような貧しい世界ではないと思ったからである。
この考えは、高齢者になった今でも同じである。だから、好きな事やりたい事をし、行きたいところに行っている。

もう一つ若い時に決めた事がある。大体のモノや事は人が言うほど大事ではないが、自分でこれは大事であると思ったものはとことんやり貫くということである。それが合気道であり、これは50数年続いている。合気道のお蔭で、生きることの意味、自分が何処から来て、何処に行くのか、そして自分は何のために生まれ、死んでいくのか等が、高齢者になってわかってくるのである。
勉強もそれほど大事だとは思っていなかったので、勉強は一生懸命にはならなかった。しかし、生涯にわたって三度だけ真剣に勉強した。それは人生の転機であり、これを失敗すれば次の世界に進めないと思ったからである。一つは、中学校三年の期末試験である。200人いる生徒の中で30番までの名前が壁に張り出されるのである。これに名前を出そうと頑張り30番以内に入り、名前が出たのである。それは両親の耳に入り、勉強に対しての私の信用ができたのである。これ以降、私の勉学に対する希望はすべて受け入れてくれることになったのである。大学、そして大学院、更に留学の希望がかなえられたのである。二つ目は、大学院での落第の追試験である。一次でフランス語の試験が駄目だったので、これが受かならければ卒業できないし、予定しているドイツ行もできなくなるので、半年間必死で勉強し、何とか合格した。
三つ目はドイツ語の国家試験である。半年ドイツ語学校に行ってその試験を受けるのであるが、この試験に合格しないと大学に入れないし、ドイツの滞在許可証も取れないので必死に勉強した。毎日、学校の授業と併せれば10時間以上勉強したことになる。お陰で合格し、大学、就職へと繋がっていったのである。やはり思った通りの転機への重要な勉強であったのである。当時はそれほど真剣には考えていなかったが、今思えば冷や汗ものである。

また、若い頃、海外に脱出したお陰で、外国と外国人のことがよくわかる。ドイツの大学に行き、ドイツの企業に就職し、ドイツの機械産業界との関係で、長年にわたって仕事をしてきたので、多くの友人や知人ができ、ドイツ・ヨーロッパと日本、ドイツと他のヨーロッパ諸国との違いや長短などが分かった。今でも20−30人のヨーロッパの友人と会ったり、泊めて貰ったり、メールのやり取りをしたりしている。
また、ドイツの機械工業会とは定年後も、機械レポートを毎月作成し送付している。毎日、工業新聞を読み、関係する記事を切り抜き、そして翻訳するので、結構気が抜けないし忙しい。
更に、海外に行ったお陰で合気道を教えることも出来た。そして今も年に一度は合気道の講習会のためフランスに行っている。

高齢になって楽しく過ごせるためのもう一つ大事な要素を加える。それらの事を若い頃に体験したり、楽しんでいれば、高齢者になって時間を持て余すことなど無いし、時間が足りなくなり、少しでも長くいきたいと思うはずである。
まず、それは食事を楽しむことである。和食、フランス料理、イタリア料理などの美味さを知っておくことである。偶には高級レストランや割烹店などで満喫しておくのである。
また、映画、歌舞伎、お能、コンサート、オペラ等を楽しみ、出来れば趣味にしておけばいい。映画はそうでもないが、他の歌舞伎、お能等々は、若い頃の体験がなければ、高齢になってから楽しもうと思っても中々難しいものである。
高齢者になっても、趣味だけでも忙しく、有意義な日々を過ごせるはずである。

若い頃にやったことが高齢者になれば集大成されるということである。高齢者になって、生き甲斐を感じられるようになりたいならば、若者は、若い頃にその土台をつくるため、楽を避け、冒険と挑戦をし、社会や大人たちの不合理に反抗すべきであるとアドバイスする。