【第694回】 武道の基本で危険を避ける

今現在稽古をしているのは合気道である。合気道は武道である。稽古の目的は、人によって違うだろうが、誰でもいつの時代にも共通して学ぶことがある。それは“危険を避ける”ことであると思う。争いを起こす危険を避ける、相手・敵の攻撃を避ける、こちらからの攻撃で相手・敵の反撃を避ける等‥である。

この武道の“危険を避ける”目でまわりを見ていると、多くの人が危険極まりないことに気がつかないし、平気でやっていることに、こちらの方がどきどき、はらはらしてしまう。
現代人はますます、危険を察知する能力が退化しているように見える。
日常生活での危険察知能力の低さを見れば、大災害でのその低さもわかる。
スマホを見ながら街中でも駅のホームでも歩く、自転車で歩道を疾走したり、周りを注意しないで走ったり、また、大雨の警報が出ているのに避難をしないとかである。

これらは武道を嗜んでいない人にも、危険であることはわかるだろうが、更なる避けなければならない、武道家の見る危険がある。
例えば、角を曲がる際は、何かが飛び出してくる危険性があるわけだから、何が来てもいいように用心すると同時に曲がる角ぎりぎりではなく、十分なスペースを保って曲がる。これで鉢合わせもなくなるし、ぶつかることもなくなる。また、自転車や自動車の進行方向に踏み入れたり、横切ろうとする。速度と時間で大丈夫だと思ったり、自転車や自動車が停まってくれるだろうと思っているようだ。
更に、まわりに十分なスペースがあるのに、人の前に平気で立つ。昔なら、叩き切られただろう。人の気持ちや、気配が読めなくなってきたのである。
もう一つ、信号が青になって渡る際、青になってすぐにわき目もふれずに渡り始める人が必ずいる。青になったから、車は止まるわけではない。いろいろな事情で止まらなかったり、止まれないこともある。高齢者の自動車事故が頻発しているのを見ればわかるだろう。武道的には、青でも、車が来ないか確認して進むべきなのである。

日常生活でも、自然災害でも、武道の基本的精神を身につければ、危険を避ける一助になると考える。それによって危険を察知し、危険を避けようと行動すると思う。自分の危険察知センサーを目覚め指すのである。
自動車が来たら、90才の超高齢者が運転していて、突っ込んでくるかもしれないとか、運転者が急に意識不明になってしまうかもしれないと思い、安全な所に待避したり、安全な所を歩くようにする。
大雨では、一寸普段とは違う降り方だとか、まわりの様子が違ったら、それが危険かどうかを判断し、危険を避けるようにするのである。死んでしまったら、想定外では済まされない。想定外だったなどは過ぎた後のいいわけである。自分自身で想定すれば、これまでの危険も避けられたものもあっただろう。

思い込み、自分の都合のいい方にだけ物事を考えていると、危険を避けることはできないだろう。飛行機は飛んでいるのは不自然なのである。地に落ちるのは何の不思議でもない。だから、パイロットたちは落ちないように最善を尽くしてくれているわけである。また、列車も電車も停まっているのが自然で、走っているのは不自然なのであるから、列車や電車が停まったからと慌ててもしょうがない。
要は、最悪の準備をしておくことが危険を避けることになる。最悪の準備をしたのだから、最悪のことが起こっても諦めがつく。

最終的には自分の身は自分が守るし、それが出来るのは自分しかいない。
法律も警察も、危険を避けてはくれない。事後処理しかできない。死んだり怪我した後で処理して貰っても遅い。
武道の基本で危険を避けていきたいものである。