【第690回】 文字に書き残す

「女こころと秋の空」と、女ごころは変わりやすいというが、自分自身の心も変わりやすいと思う。取り分け、高齢になるとより変わりやすくなるようだ。変わりやすいから覚えていられないのではないかと思う。思ったこと、やりたい事、やるべきと思ったことが一つ、二つであれば忘れる事はないだろう。これをやろうと思っているのに、あれもやろう、それもやらなければと変わっていくうちに、初めの事を忘れてしまい。忘却の彼方へいってしまうわけである。

また、大事と思っていても、その時が去れば忘れてしまい、二度と出て来ないし、いつ出てくるかも分からないものである。また、時間が経てば大事と思ったものを大事と思わなくなってしまうものだ。
更に、その時興味があっても、時間が経ち、日が経つと興味が無くなったり、他のモノに興味が移ってしまうものである。

これらの理由から、自分の興味を持つもの、忘れては不味いモノなどは文字に書くことにしている。スーパーでの買い物リストをつくったり、予定表に書き込んだり、欲しい本の著名、発行元をメモしたり、行きたい展示会名、美術館名など書いたりしている。若者の目で見れば、メモ魔であるが、高齢者はこれでいいと思っている。

合気道の論文を毎週4編書いている。
合気道の論文は、今回で690回になるが、4編あるので全部で2760編書き残したことになる。これらの論文を書き残していなければ、今、書こうとしても決して書けないし、忘れてしまっているはずである。どのテーマの論文も、その時しか書けなかったモノばかりなのである。その時の心持、環境、知能レベル・状態など今とは同じではないのである。一分、一秒違えば、人は別人なのである。別人になれば考えや興味も違い、違うモノしか書けないことになるのである。

また、論文を書いていくと、時として、各テーマや材料が無くなるのではないかと思うこともある。しかし、一度もお休みなく10数年書き続けている。面白いことに、頭にあるモノを出し切ると何も無くなってしまうが、新たな何かが頭に入ってくるので、後のことは心配せずに、毎回、すべてを出し切って書こうとしてきた。これは技においても同じで、出し切らないと新たな力も技も入って来ないようだ。頭も体も出し切ることが大事だということである。出し切るためには書いて置くことである。書くから出し切れるのだと思う。

論文など書いて置くと自分の成長、技の上達などの軌跡が辿れる。年を取ってくると感じるのだが、年を取ってくると寂しくなる。俺はこんなに年を取ったが、年を取って何をしたのかと思うものである。私のように論文を書いたり、多くの人が書いているように日記をつけていれば、生きてきていることが実感できるはずである。文字に書き残して置くことを推奨する。