【第684回】 高齢者よ自信と誇りをもて

最近、街を歩いたり、電車に乗っていて感じる事は、高齢者の顔つきが暗く沈んでいることである。退職して仕事をしなくてもいいはずだから、好きなことが出来るだろうし、時間も十分にあるはずなのだから、働いている若者よりるんるん明るく楽しくしていてもよさそうなのに、死神にとりつかれたように陰鬱な顔が多いし、それがどんどん増えているように見える。孫たちに囲まれている、楽しそうで幸せそうな顔とは雲泥の差である。
そこでこのような現象の原因がどこにあるのか、どのように解決すればいいのかを考えてみた。

その原因は、人としての本質的問題にあるようだ。それが何なのか分からなかったり、それが分かってもどうすればいいのかが分からないでもんもんしているのだと考える。
この本質的な問題は、生と死の問題である。生きる事すなわち死ぬことである。この問題は学校の成績にも会社の仕事にも直接関係ないので、生活の隅に追いやられていたわけだが、学校にも会社にも行かなくなると、無意識のうちにそれが気になり出すと考える。
「自分(人)は生まれて死んでいくが、何のために生まれてきたのか」、そして「どう生きればいいのか」「何をすればいいのか」等が知りたくなるはずである。人はこれを知らないと本当に生きているとは感じられないはずだからである。

だが、これらのことは学校でも家庭でも、学者や宗教家など偉い人も教えてくれない。だから人にも聞くことが出来ない。
この問題が解けて、自分で納得できれば、高齢者時代を充実し、満足して過ごせ、そして往生できるはずである。逆にこの問題を避け続けたり、解決しなければ、満足して死ぬことはできないし、そして老後を楽しく過ごすこともできないと考える。

この問題の解決が合気道の教えの中にある。その教えとは、この世に生まれてきた人も万有万物には各々役割がある。それは地球を天国のような楽園にするためのお手伝いをすることである。人も鳥獣虫魚、植物も、各々分身分業でその役割を果たしていて、選手交代をしながら地球天国完成に向かっていくというのである。
実際に、人も万有万物も、意識して、または無意識で永々としてこのための役割を果たしてきている。例えば、子供を生み、育てる、子孫を残す、美術や音楽など美しいものを創り残す、世の中に役立つものを創る、役立つ人をつくる、スポーツなどで人間の限界の可能性をレベルアップする、踊りや演技でより美しくする等々と万人が関わるすべての仕事や活動といっていいだろう。地球楽園建設に近づける人は評価されるし、妨げるものは嫌われたり罰を受ける。大いに貢献した人には、ノーベル嘗とか・・・嘗が与えられるのはこの為であろう。また、人は無意識のうちに、地球楽園建設に少しでも役立つように生きているといえよう。いい事をし、悪いことをしないようにしているはずである。

人はこれを自覚すればいい。誰でも地球天国建設の生成化育に関わっていることがわかる。別にノーベル賞を取ったり、オリンピックで入賞したり、テレビや映画で有名にならなければ生きた証にならないわけではない。
子供を育て上げたでもいいし、仕事でもいい。地球の為、後の人類の為に関わったのである。それを合気道では使命と教えられている。使命を若い内に気がつく人もいるが、多くの場合お迎えが来るころであるようだ。そのときこれが自分がこの世に生まれてきた使命であったかと分かるだろう。
それでも使命が理解できなければ、草木を考えてみればいい。彼らも草木を立派に育てよう、子孫を残そうと頑張っているだろう。これも地球天国建設を支援しているわけである。もし、草木がその生成化育をしなければ、地球上から草木は消え、地球に天国はできないのである。草木の生えていない、岩だらけ、砂だらけの地球など天国でなくて地獄だろう。

ほとんどの高齢者はその役割・使命を果たしたはずだから、後はそれを自覚すればいい。そうすれば自信がつき、そしていい顔、明るい顔になり、よりよい世の中になると思う。

更に街を歩いている人、電車に乗っている人たちはみんな地球楽園建設の為に生成化育をしていると見れば、皆が仲間であり、同朋になるわけで、一緒に頑張ろうということになり、顔つきもかわるはずである。また、幼児や若者たちを見れば、彼らのために頑張ろう、頑張ったと思うはずである。

最後に、先だって亡くなった異色の女優樹木希林の、使命を果たせたという気持ちが現れている、彼女の最後に相応しい言葉を紹介する:
「いまなら自信を持ってこう言えます。今日までの人生、上出来でございました。これにて、おいとまいたします。」(樹木希林)

参考文献  『樹木希林120の遺言』(樹木希林著 宝島社)