【第536回】 高齢者のための合気道へ

これまで500編以上の「高齢者のための合気道」を書いてきた。しかし、この「高齢者のための合気道」は、他の「合気道の思想と技」「合気道の体をつくる」「合気道上達の秘訣」とは異質ですねと言われる。でも、高齢者はいつもこれを楽しみにし、まず最初に読むという。だから駄目だということではないはずだ。

確かに「高齢者のための合気道」は、他のものと違っている。他の3編はその主題が示していることを書いている。だから主題をベースに読めばいいので安心して読めるだろう。
しかし、この「高齢者のための合気道」は、高齢者のための合気道ということを、この主題に対して、直接的に、また、具体的には書いてはいない。つまり、高齢者のための合気道とは何か、高齢者はどのよう合気道を稽古していけばいいのか、元気な若者の合気道とどう違うのか等が書いていないわけである。

書いている本人も、何故、このような内容で書いてきたのかわからない。意図していたわけではないが、結果的にこのような論文になってしまったのである。しかし、改めて考えてみても、これでいいと思っているし、満足さえしている。

他の3編も同じだが、毎回、その時の研究テーマやその時思いついたこと、興味をもったものを書いてきた。
「高齢者のための合気道」では、まず、高齢者自身に大変興味をもったことになる。とりわけ、偉業を成した高齢者や現役で、100歳以上で活躍されている高齢者に興味をもった。これは我々‘はなったれ小僧’が目指していくべく、目標となる方々であると思ったからである。

自分より若い人の話にはあまり興味がないから、論文には取り上げないし、引用もしない。合気道的にいえば、80歳以下はまだまだ‘はなったれ小僧’と思うからである。だから、自分もまだまだなのである。まだまだ学んでいかなければならないのである。

従って、「高齢者のための合気道」の主旨は、まず、人としての理想的な高齢者像を探究することなのである。この探究は引き続き、最後まで書いていくつもりである。
そして次に、高齢者はどのよう合気道を稽古していけばいいのか、を追及していこうと思っているし、これをそろそろ本格的に始めたいと考えている。

これからの「高齢者のための合気道」は、恐らく知恵と情緒豊かな高齢者になり、そして魄に頼らない技づかいができる高齢者を目指すということになるのだろう。そして自分自身の合気道もそれを目指していくはずである。