80才を過ぎて合気道の修業を続ける事は戦いといっていいだろう。合気道を修業していない人でも日々の日常生活が戦いであると思う。
年との戦いには二つあるだろう。一つは、体力や身体機能が低下していく年との戦いである。二つ目は、年に見合ったレベルに恥じない人間性、合気道技習得の戦である。
人は高齢者になると年々、体力や身体機能が低下する。若い内は、実感できないが高齢になると実感するようになる。しかも、80才を過ぎればその機能低下は年々どころか日々実感するようになる。この調子だと、更に年を取って100才ともなれば、日々どころか、刻々とそれを感じるようになるのではないかと思う。臨終の際の刻々ほどではないにしても、それに近づくはずである。
まず最初の一つ目の戦いは、その体力や身体機能の速度を抑えることである。
一般的には運動することになる。体を動かして筋肉をつけ、内臓を鍛えることになる。
合気道家は道場の相対稽古で技を掛け、受けを取ることによって、体力や身体機能の速度を抑えることになる。
もう一つの合気道家の体力や身体機能の速度を抑える戦いがある。それは宇宙、天地、自然から生命エネルギー(気)を頂くことである。体力や身体機能はあったモノが自然に減退していき、いずれ消滅することになるが、そのままでは動けなくなることになる。そこでその減退していく力や機能をカバーする力(生命エネルギー)が必要になる。それを合気道では気という。気で体力や身体機能を補い、導くのである。謂わば、気との戦いである。合気道の技の錬磨によって気(生命エネルギー)を身につける戦いである。合気道の稽古、修業である。
二つ目の戦いである。60数年合気道の修業をしてきた結果、最高位の八段を頂いている。年も84才と鼻ったれ小僧は脱し一人前である。
これに恥じないようにするのが次の戦いである。合気道の技づかいや立ち振る舞い、合気道の思想や哲学が分相応でなければならないということである。初心者とあまり変わらないではないかと思われるようなら恥である。
また、分相応だからといって満足していてはいけない。毎年、いや毎日レベルアップしなければならないと考えている。年と共にどれだけ上達できるかの戦いである。
また、今日の自分と昨日の自分が変わるようにしなければならない。これこそが高齢者の最強の生きるモチベ―ションであると考える。