最近は胸が大事である事がわかり、それを書いてきた。それまでは技や体(手)は腰腹が主役になって掛けると考えていたわけである。しかし腰腹で技を掛けているといろいろな問題が出てきたり、これ以上の上達が無いように思えてきていた。喩え、布斗麻邇御霊の
でやろうが、息陰陽水火を使おうが十分な力が出ないし、自由に体が動かず、技が使えないのである。
それ故に、この問題を解決すべきいろいろ試行錯誤してきて、胸に辿りついたわけである。つまり、合気の技は胸で掛ければいいということであり、胸が大事であるという事である。
胸をつかうということは布斗麻邇御霊の
である。息を□に引くのである、
は息を円く吐くが、息を□に引くのである。これによって胸と背は気が満ち、しっかりと張り、体が凝結することになるのである。この胸・背、体の凝結から凝結した手を使えば胸背(体)の力が無駄なく、時間差なく手先に伝わるのである。
胸背で技をつかうようにしていると、これを裏付ける大先生の教えに出会った。いつもの事であるが偶然と云っていいだろうが、余りにも偶然が多すぎるから偶然ではないと思うようになってきた。偶然でなければ必然、つまり起こっても不思議ではない理由があるはずである。それは何かに導かれているということである。これまでの偶然もそう考えれば納得いくのである。これは何かに導かれている本人でなければ分からないだろう。
さて、その大先生の教えである。大先生は、次のように言われている。
「また、△○□の気の熟したるを合気と申し、(略)、□(四角)は体の千変万化を出し、月のごとく、現象界における昼夜のごとく、裏観は一元なれど、表観は千差万別運化を意味す。」(合気神髄 P.52)
私もこの文章は何度も読んでいたが、難しくて素通りしていた。ようやくこの意味が分かった。胸と
で技をつかうようになったお陰であろう。いつも云うように、大先生の教えは頭だけでは分からない。己の技づかいのレベルがある程度に達しなければ理解できないのである。つまり体がある程度理解していなければならないということである。
文の区切り毎に解釈してみると、