【第907回】 気の流れと呼吸力
魄の技づかいから何とか脱し、次の次元の稽古に入るべく稽古し、ようやく気による技づかいが出来るようになってきた。当初は気とは何かなど皆目わからなかったが、気が出せるようになると気とは何かが何となくわかってくるものである。しかしまだ明確には分からず、いま一つ自信がない。
また、気が出てきたせいか呼吸力も出るようになり、呼吸法などは大分上手くいくようになった。呼吸力もこんな事だろうとは思っているが、自信を以て呼吸法とはこういうモノだと言えないでいた。
ある事を調べようと『合気道技法』を見ていると、気の流れと呼吸法の定義を見つけた。これまで『合気道技法』は読んだことがあるが、それに気がつかなかったわけである。要するにそれが分かるレベルにはなかったという事である。『合気神髄』『武産合気』だけでなく、『合気道技法』も研究しなければならない事を改めて痛感した次第である。
さて、気の流れと呼吸力について『合気道技法』には次のように定義している。
- 「気の流れとは心気の働きをいう。」(合気道技法P.59)
- 「来らば即ち迎え、去らば即ち送る。対すれば和す。五五十なり、二八十なり、十九十なり、即ちこれを以て和すべし云々」これは、気の流れに従って体を捌いていくことであって、相手が来るのを待っていて迎え、然る後送るのではなくて、相手が出て来なくてはならぬ気持にまで追い込み、これを捌いてゆく極処を説いたものである。」
- 「こうした気の流れについて、言うは易いが、真の会得は勿論一通りや二通りの修行で得られるものではなく、先ず姿勢、間合等、形を正しくすることから始めて、不断の鍛練により、遂にはあらゆる面で渾然一体となる境地に達するのである。」(同上)
- 「合気道では、しばしば“気”“気の力”“気の流れ”という言葉が用いられるが、これが合気道の技の生命として流れる時、その力を呼吸力という。合気道ではどんな技も、どんな動きもこの呼吸力がなくては絶対正しい技とは言い得ないのである。」(合気道技法P.59)
つまり、
気の流れとは心気の働きであり、
呼吸力とは気が技に流れる時の生命力と云う事になる。因みに、
気を有川定輝先生は“宇宙生命力”と言われていた。
これで気、気の流れ、呼吸力が大分明確になってきたので、技が変わるだろうから、渾然一体となる境地に達するよう更に精進するつもりである。
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