【第905回】 「人間は何も創造しない。ただ、発見するだけである」
サグラダ・ファミリア(写真)の建設で世界的に名を馳せている建築家ガウディは、「人間は何も創造しない。ただ発見するだけである。自然が作り上げたものこそが美しい。我々はそこから発見するだけだ。」という。一般の人には理解しにくいだろう。一般の人は、ガウディが設計し、建設したのだからガウディが創造したと思うはずである。
合気道をやっていると、このガウディの言葉の意味がわかるはずだ。合気道の創始者である植芝盛平翁(大先生)が同じことを云われているからである。
大先生は、合気道は神代から神がつくられたもので、人間がつくったものではない。合気道の技は宇宙の営みを形にしたモノであり、宇宙の法則・条理に則っていなければならないといわれている。
更に大先生は、
- 「合気は、全神代からの歴史を、その活躍の霊営を悉く身心に吸収し、胎蔵させて頂いて、営みの世界たる万有万真、森羅万象に至るまでの現れのごみいず(御働き)の大気を胎蔵して、授けられた本能によって、神代にさかのぼり又天下の造化の歴史を未来に及ぼし、古も未来も一身に胎蔵して、その智(ひかり)によって技を湧出するものである。」(武産合気p.81)
- 以前、神通千変万化の技を生み出すということは真空の気と空の気を、性と技とに結び合ってくり入れながら、技の上に科学すると申し上げたことがあります。これは皇祖皇宗のご遺訓たるところのフトマニ古事記によって、技を生み出していかなければなりません。フトマニ古事記とは神代からの歴史であり宇宙建国の生命線であり、我が国はこれを憲法としている(武産 p.77)
等と言われている。
サグラダ・ファミリアも合気道の技も人間が創造するのではなく、自然や宇宙が創造したモノを、我々が発見し、それをつかわせてもらうだけだということである。新たなものを創造したと思っても、それは自然や宇宙が創造したものか、又は理に合わない、美しくないモノのはずである。因みに、ノーベル賞でも創造ではなく発見で受賞している。
人間が傲慢にならないよう、また合気道を修業する上で、このガウディの「人間は何も創造しない。ただ発見するだけである。自然が作り上げたものこそが美しい。我々はそこから発見するだけだ。」を再認識したいものである。
Sasaki Aikido Institute © 2006-
▲