【第719回】 顕幽神界と意識・無意識

合気道では、大宇宙を構成するのは、神界・幽界・顕界(現界)であり、これを三千世界というと教わっている。開祖がご健在で我々をご指導されていた頃は、よくこの神界・幽界・現界(顕界)の言葉をつかわれておられたし、大先生の聖典である『武産合気』『合気神髄』にもこの言葉が頻繁に出てくる。これまではよく分からないのでこれを無視していたが、そろそろ年貢の納め時と考え、この神界・幽界・顕界(現界)を研究することにした。
研究の基になるのは、大先生のお話や聖典の教えであるが、これをユングの深層心理の考えに対比しながら検討しようとするものである。
非常に難しいことであり、正しいかどうかも分からない。しかし誰かが何時かは挑戦しなければならないだろう。

顕界(現界ともいう)は、われわれの日常の目に見える世界であるから問題ないだろう。
この顕界はユングの深層心理では「意識」の世界ということになるようだ。
この顕界での問題は、顕界は物質文明の力の競争社会であるので、いろいろな問題のカスが溜まっていくことである。それらのカスのために世が乱れているのである。
合気道では、この顕界でのカスを取り去ることを稽古の主な目的としている。これを禊と言う。合気道は禊であると言われる所以である。

幽界とは、目に見えない世界、また仏の世界と言われる。また、幽界は禊の場であると大先生は言われている。つまり、合気道は禊ぎであるから、幽界で稽古をしなければならないということになるわけである。
ユングの深層心理では、この幽界が無意識の世界だと考える。通常は意識されていない心の領域である。 夢・瞑想・精神分析などによって顕在化(意識化)されるのである。
合気道で、幽界で稽古をする際は、日常の顕界(現界)の意識を消し去り、そして己が見たこと、聞いたこと、体験したことを呼び起こし、顕在化することだと考える。幽界は物の霊(体の幽)で成っていると云うのである。
幽界をユングの深層心理では“個人的無意識”の世界と云い、次の神界の“普遍的無意識(集合的無意識)”と区別している。
合気道は、先述のように禊であるから、まず幽界で稽古をしなければならない。しかしよほど集中しないと、顕界の意識が離れず、顕界の物質文明の魄の稽古になってしまう事になる。その為には、それに集中する事の他に、しっかりした稽古の目標を持つことが重要であろう。例えば、宇宙との一体化等である。

幽界の稽古をそれほど難しくはないようだが、神界というのが難題である。
合気道では、神界とは、神の世界であり、魂の世界と言われる。雲をつかむようなものであるが、一つ一つ解明してみたいと思う。

まず、大先生は顕幽神三界を出入りしていたと言われていることである。ということは、人は神界にも出入りできるという事である。それではどうすれば出入りできるかと言うと、禊ぎを通してと、次のように言われているのである。「なんにもない世界、天もなく地もない世界、この世界で合気道をつかっていかなければならないのです。これは禊ぎを通して導いていくのです。つまり顕幽神三界を、この植芝は出入りしているのです。禊ぎ技は禊ぎそのものです。私の合気道は、八百万神がことごとく協力して和合していく道なのです。」(合気神髄 P.50)
ここで神界に入るために注意しなければならない事は、禊ぎの目的は“今日の世界の浄め”でなければならない事である。この大乗的な目的で禊そげば神界に入れ、そしてまた“八百万神がことごとく協力して和合して”くれるというのである
過っては“世界の浄め”のための修行は大変だったが、合気道で容易にできると次の様にも言われているのである。
「嘗っては役ノ行者の如く印形をもって、処理し法を修したけれど、すべての罪障を浄めるのにつとめられてご苦労様だけど、吾人は進んで今日の世界の浄めを、和合の合気道によってご奉公させて頂くのであります。」(武産合気 P.111)。つまり“世界の浄め”ために、印を組んで修業するよりも合気道で禊ぐ方が容易であるということである。

しかし、神界に入るにしても、神界がどこにあるのかということになる。その場が分からなければ出入りはできない。
だが、神界のある場は身近な腹中にあったのである。神界にも出入りされていた大先生は、「顕幽神三界も、また我々の稽古の腹中に胎蔵しております。
自分の心の立て直しができて、和合の精神ができたならば、みな顕幽神三界に和合、ことごとく八百万の神、こぞってきたって協力するはずになっております。」と言われているのである。

神界が腹中にあることが分かったわけであるが、過去―現在―未来も、またタカアマハラもすべて自己の体内にあると大先生は言われているのである。

さて、この神界をユングの深層心理では、元型(普遍的無意識、集合的無意識)と言っていると考える。ユングはこの神界に相当すると思う深層意識の元型を“人間の無意識の深層に存在する、個人の経験を越えた先天的な構造領域”としている。
合気道では、「人の身の内には天地の真理が宿されている。人というと万古不易の真理が宿らぬ者はなく、それは人の生命に秘められているのである。本性のなかに真理が宿っている。」(合気真髄 P84)と言っている。
また、トーマス・マンは「人間の魂の深部は、同時に太古でもあり、神話の故郷であり、生の根源的規範と生の原形が基礎をおいているところの、さまざまな時代の、あの泉の深部である。」例えば、太陽を神として把握しようとする様式が人間の心の内部には存在しているといわれる。

大先生は多くの神様と交流されていたようだが、厳しい禊ぎによって、普遍的無意識の世界である神界に自在に出入りされ、超人的な御働きをされたのだと考えている。

合気道の顕幽神界とユングの意識の世界