【第1004回】 武魂を出す

朝の起床はなかなか上手くいかない。あーでもないこーでもないと思いながらぐずぐずして時間が経ってしまう。年を取ってくるとますますひどくなる。何とかしなくてはと考えていたところ、その解決策を見つけた。
それは武魂である。武魂で体中を膨らませ、そして起き上がるのである。武魂とは、武の気魂の現れであり、武の元の心の初めである。この武魂によって起き上がるのである。

合気道の技を使う際もこの武魂に働いて貰わなければならない。体中を武魂で膨らませ、体全体を張った状態から技をつかうのである。武魂が働かずに萎んだ体では力が発揮できず、手先に伝わる力も段がつき、体の力が有効に使えない事になる。簡単に言えば、武魂をつかわないとこせこせした技になってしまうのである。

武魂は腹と胸の体中を膨らませて産まれ、体を包み、そして体を張る(凝る)が、この凝りに接した相手も凝らすことになる。これは気の作用である。気の凝結力である。
しかし、この武魂が強力になってくると相手と直接接しなくとも相手は凝ってしまうのである。以前から不思議に思っていた事がこれで分かってきた。それは大先生の前やそばにいると身体も心も緊張して、早くそこから抜け出したいと思ったことである。大先生だけでなく、有川先生もそうだった。ご一緒していると、何か圧迫感と緊張感を覚え、また、すべて見透かされているように思ったのである。有川先生の傍にいると、心身共に自由がきかず、もしここで一発きたらお陀仏だと観念したのを思い出す。これは先生方の武魂のなせるものだったわけである。

武魂に満ちた体中、特に胸中は大きく、また強靭に膨らむ。武道家の姿形である。実際に武魂が働くと、手足が効率よく働き、そしてその動きは切れない。因みに、武魂で体が満ちずに手を使えば、手は手捌きとなりその動きは切れる事になる。
勿論、武魂を容れる肉体をつくり上げなければならないが、それは理によってつくり上げなければならない。それを大先生は次のように教えておられる。「武魂を容れるの善美なる肉体は理によってつくりあげるものである」(合気神髄P.21)。つまり、理によって武魂の体はできるということである。


朝起き上がるとき、何かの活動を始める時、合気道の稽古を始める時、技を使う時等々は、よーしやってやろうという武魂に働いてもらうのがいいだろう。