【第84回】 高齢化社会

高齢化社会とは、高齢者(65歳以上)の増加により、人口構造が高齢化した社会のことをいう。日本は高齢化率(65歳以上の人口が総人口に占める割合)からいうと超高齢社会(21%以上)ということになる。日本は1970年に高齢化社会(7〜14%)に、1994年に高齢社会(14〜21%)になり、2007年には超高齢社会(21%以上)になるという。

日本人の平均寿命は、男が78歳、女が85歳であるので、人は65歳で定年になった後、平均的に男は13年、女は20年は生きることになるが、これはあくまでも統計上の話で、実際はこの倍も生きる人たちもいるわけである。

今は、高齢者が社会の邪魔になっているような考えに、若者だけではなく高齢者自身も陥っているように見える。高齢者は、すっかり社会の隅に追いやられてしまっているようである。

高齢者が長年勤め上げた仕事を定年で辞めても、それで人生が終わったわけではないのである。それで自分の仕事が終わったなどと考えたら、本人にとっても、また社会にとっても、大きなマイナスになる。定年後は自分の余生を年金でのんびりと過ごそうなどと考えるから、若者や社会から軽んぜられたり馬鹿にされ、隅に追いやられることになる。

高齢者には、高齢者の生き方がある。高齢者には、高齢者にしか出来ない使命がある。それは子どもや若者たちに、人としての生き様の模範を示すことである。高齢者になってもこういうことが出来るのだということを示し、高齢者にならなければ分からないことや、理解できないことがあることを示し、子どもや若者に年をとる楽しみを教えなければならない。

50、60歳は鼻たれ小僧で、表面的なことが分かっても、真実は見えていない。知識はあるが知恵がない。形はできても、こころが見えない。こんなことが分かってくるのも70歳近くになってからである。65歳で自己満足していては、何も分からないまま死んでいくことになるし、若者たちに何も残さず、継承しないでいってしまうことになる。人の最大の喜びは自分が人のために役立ち、人に喜んでもらうことだろう。若者が喜んでくれれば、若者や社会は高齢者を社会の隅には放って置かない。

年を取っても健康でいられて、例えば合気道などを現役で100歳まで稽古でき、精進することができれば、それだけ多くのことが分かるようになるはずである。そうすると、若者に大事なことを残すこともできるし、生きる張合いを与えることもできるだろう。

人はそのためにも、少しでも健康で長生きするように努めなければならないだろう。動物は成長期年の5倍生きられるというから、人の成長期年は25年として125歳まで生きることができることになる。65歳はまだまだその半分なのだから、半人前ということだ。高齢者は高齢化社会の声に押しつぶされることなく、定年とは人生の後半のスタートを切るときであると考えるべきである。

参考文献: 「神道<徳>に目覚める」(葉室頼昭著 春秋社)