【第82回】 "高"高齢者の役割

高齢者の中でも、ほとんど老人といわれるような高高齢者が一生懸命に稽古をしたり、演武をしているのを見るのは気持ちのいいものである。若者がスピーディーに力一杯やるのもいいが、高高齢者のよさとは違う。特に長年稽古を続けてきた高高齢者の「わざ」には、若者には見えない深さがある。長きにわたる人生の経験と知恵、人生の素晴らしさとはかなさ、体力の衰えと自分との挑戦、若者に何かを残したいという気持ち、若者を見守る愛等々がにじみでているのだ。

そのような高高齢者の姿を見れば、若者は先輩高齢者を尊敬し、自分も年を取ったらそうなりたいと思うだろうし、また合気道の素晴らしさを再認識することにもなるのではないだろうか。

現代は西欧文明、物質文明が世の中を牛耳っているといえる。また知識の文化、社会ともいえる。従って知識を素早く吸収する若者の文化、社会でもある。これは、若者が表に出て、高齢者、つまり老人は社会の隅に追いやられてしまっている社会である。

人を労働力と考えてしまうから、老人をないがしろにしてしまうことになる。これが今の家庭、社会、国、世界を駄目にし、その進化を妨げている原因の一つだろう。知識やものだけでは人も社会もよくならないし、真の進化はない。

社会は、家族、国、世界でも、高齢者や老人が活躍する社会でなければならないと思う。高齢者や老人が活躍する社会とは、知恵の社会であろう。知恵とは、生きるため、進化するための"知識(情報)"である。本当に生きることを知り、進化することを知る知恵者がリードする社会である。

それにはこれから高齢者や老人はもっと頑張らなければならない。老人は人としての生きざまを若者に示さなければならないし、知恵の大事さを伝えていかなければならない。

それには若いときの知識とパワーをそぎ落とし、我欲をなくし、若者が求めている知恵を伝えていく必要がある。そのためには、健康で長生きしなければならないだろう。健康で長生きすればするほど、我欲がなくなり、知恵がつく可能性が大きいからである。今の日本の平均寿命は80歳前後であるが、もっともっと長生きしなければならないだろうし、また、できるはずだ。人は125歳まで生きる可能性があるといわれる。

室町時代は織田信長が謡った『敦盛』の中にある「人生わずか50年」、江戸時代の平均寿命は45歳ぐらい、それが今では100歳以上の人が3万人以上になり、歴史が進むほど人間の寿命は伸びてきている。数千年、数万年かかるかも知れないが、いつの日か人は125歳まで生きられるようになるだろう。今はそれに期待して、少しでも長生きして修行を続け、若者に知恵と勇気を与え、若者に生きることの素晴らしさを伝えていくべきであろう。

合気道でもなるべく長く稽古を続け、合気道の中にある知恵と「わざ」と「力」をむすぶ「こころ」を身につけ、その稽古の様を若者に見てもらい、老人になっても頑張ろうと思ってもらえるようしたいものである。ものごとをよくする、進化させるには、若者に頑張ってもらうことであるが、そのためには高齢者が頑張らなければならない。老人が若者に尊敬されるような社会や国でなければ 滅びてしまうのではないか。