【第78回】 点をつなぎ、点を補う

高齢者はこれまでに、いろいろなことを経験してきた。短いとも思えるし、長かったとも思える。これまで見たり、聞いたり、読んだり、話を聞いたり、体験して、様々な情報(知恵、知識、技術)を得、自分を形成してきたのであろう。

しかし、これまでに得た情報はまだ"点"の状態で、点どうしがお互いまだむすびつかない状態といえるのではないか。つまり、多くの"点"が点在している状態である。合気道の世界でも、先生、先輩や同輩、書物、演武会、ビデオやDVDなどから沢山の情報を得ているに違いない。若い内は、このようなバラバラの点の情報を情報として持っているだけで、自分の合気道の技にはなかなか生かしきれないものだ。若いときは、行くべき方向が分からない。毎日々々何かを待っているのだが、何を待っているのか分からない。やりたいことやり、沢山「点」をつくるしかないのだ。

しかし、高齢(大体65歳以上)になると、だんだん自分の人生が見えてくる。自分の過去と今の自分がつながり、残された人生がどうあればいいのかを考えるようになる。そして、高齢者になって初めて、"点"として点在していたものをむすびつけて線にし、その線を沢山増やして、増やした線と自分を結びつけられることができるようになるものだ。

幕末から明治に変わる激動の時代がどんな様子だったのか、学校で歴史を学んでもさっぱり分からなかったが、その後に歴史小説、「夜明け前」などの文学小説、武道書、剣豪小説などを読んだり、また映画等を見たりしてきて、やっとその時代の様子が分かるようになってきたし、そこに活躍した人やその考え、偉大さや愚かさなどが見えてきた。そして自分だったそのときどうしただろうなどと考えたり、この人たちが生きていたら今の日本、世界の諸問題に対してどのように対応するのか想像したりする。

合気道でも、これまでのばらばらの知恵、知識、技術などが自分の体と技にむすびついてくる。そして、これまで一生懸命やったことや考えたことが技に出てくるようになる。手首鍛錬の二教、何万回も繰り返し稽古をした四方投げ、大事だと言われてやっていた諸手取り呼吸法や坐技呼吸法などなど、"点"としてやっていた稽古が一つ々々つながり、まとまってくる。それと同時に、いままでいくら聞いたり読んでもほとんどちんぷんかんぷんだった開祖の話や思想・哲学が分かり出してくるのである。つまりこれまでのすべての点が線となり、自分にむすびつき、自分の思想となり技となってくるのでだ。

また、自分に欠けている"点"も分かってくる。若いうちはそれがなかなか分からない。何が問題なのかは分からないし、問題があることもわからないものである。

従って高齢者の合気道は、自分が経験してもっている点をつなげ、不足している点を補って、自分の完成に少しでも近づけるよう精進していくことであろう。