【第666回】 土台の体を

前回は「魄を土台に魂を表に」で、土台になる体を大事にしなければならないと書いた。
勿論、体が資本ともいわれるように、高齢者の誰でも体を大事にしているし、しようとしている。ジョギングをしたり、散歩や山歩きをしたり、また、サプリメントを摂取したりして体調や健康には気をつかっている。
しかし、それが何故いいのか、悪いのか、また、何をどうすれば効果的なのかは分からないように見える。つまりその良し悪しの基準を持っていないからであると思う。

合気道にはそれがある。合気道は技と体と息を法則に則ってつかわなければ、いい技は生まれないし、体を痛めることになると教わっている。法則とは宇宙の法則である。宇宙ということは、天を指しているが、超時間・空間ということである。つまり、過去・現在・未来のいつの時代にも通用し、また、如何なる場所(国、地域、場)にも適用するということである。

テレビなどで柔軟体操などの体操が紹介されるが、ほとんどは若向けのものである。高齢者、超高齢者には難しいと思う。魄、力をつける体操である。90才、100才の高齢者には出来ないないし、やる気を起こさせないだろう。
開脚などで、脚を伸ばし、股関節を開く運動で、上体を床に着くように倒そうとするが、体の柔軟な若者ならできるだろうが、筋肉や関節が硬くなった高齢者には無理である。無理な事をしても出来ないし、体を壊してしまうことになる。何故出来ないのか、体を壊すことになるのかというと、宇宙の法則に合致していないからである。

人の体は、息を吸うと伸び、逆に息を吐くと締まるように出来ている。だから、体や筋肉・関節を伸ばす場合は、息を吸いながら伸ばさなければならないことになる。しかし、更に伸ばす際は、息を吸って十分に伸ばした後、息を吐きながら更に伸ばすことになる。つまり、初めがら、息を吸わずに息を吐いて力を入れても、体は伸びるどころか、拒否反応を起こして固まってしまうのである

ここから、息で柔軟体操をすればいいことになる。合気道の技も、初めは法則に則って体を動かして技を掛けるのだが、それがある程度出来てくれば、今度は息で技を掛けるようになるからである。
息に合わせて柔軟体操をするのなら、90才でも100才でもそれなりに出来る。合気道のイクムスビの息づかいである。イーと一寸息を吐き、クーで息を大きく吸い、そしてムーで息を吐くのである。体が柔軟になるだけでなく、肺や心臓の内臓も丈夫になるはずである。
この息づかいが出来れば、更に阿吽の呼吸という息づかいでも出来るようになる。

いづれにしても、焦らずに少しずつやり、続ける事である。大事な事は、毎日、少しずつでも続ける事である。合気道の修業をしていて、人の体は一日周期で機能していると思えるからである。
また、毎日体操を続けていると、体と仲良しになれる。そうすると体を大事にして、仲良く付き合わなければならないと思うようになるはずである。身体は自分のモノであり、自分の思うように動いてくれるというのが妄想であることがわかるだろう。身体は借り物なのである。その証拠に、お迎えが来たらお返しするだろう。あちらまで持参できないのである。
体と仲良くなることこそ、体を柔軟にすることなのであると思う次第である。

年を取ればとるほど、体は固くなるのは自然であるが、毎日、少しずつでも柔軟体操をしていれば、その時は気がつかなくとも、必ず変わっていく。一つ年を取って、何もやっていない仲間等と比べてみれば明白である。
これを合気道では、体のカスを取る、禊ぎという。合気道は禊ぎである。人生も禊ぎであるべきであると考える。