【第665回】 魄を土台に魂を表に

合気道とはどんなものですか、と合気道家は聞かれるはずである。しかし合気道を知らない人へ答えるのは難しい。5年や10年では答えられないだろう。その理由は、門外漢に分かり、合気道の教えにあることで説明しないと、相手は納得しないだろうし、興味をもってくれない。合気道の教えに関係のない事を言っても、合気道をやっていて答える自分が納得できないからである。
合気道を知らない素人に、合気道とはどんなものなのかを説明できたらたいしたものであり、ここでようやく、自分は合気道を修業していると云う資格が出来るように思える。

合気道は世の中をよくするためにある。それを合気道では、地上楽園建設の生成化育という。合気道は武道の武を身につけ、武によってその生成化育を阻んだり、乱すものを取り除いていくのである。それを禊といい、合気道は禊であるとも云われる。これで世の中と合気道は繋がり、世の中の人に関心を持ってもらえることになると考える。

世間の人たちの多くは、今のこの世は何かおかしいとか、間違っているのではないかと思っているはずである。しかし、何がおかしいのか、それは何が原因なのか、どうすれば良くすることができるのかが分からず手をこまねいていたり、諦めているように思える。政治家や科学者や宗教家等‥が挑戦してもままならない事に、合気道がお手伝いできれば、合気道を創られた植芝盛平翁も喜んで下さるはずである。

これから、この趣旨で『高齢者のための合気道』の論文を書いていきたいと考えている。何故、高齢者なのかというと、高齢者がしっかりしないといい世の中にならないと思うからである。勿論、この趣旨から逸れた論文を書くこともあるはずであるが、先のことは約束できない。

さて、今回は、「魄を土台に魂を表に」のテーマで書く。その理由、世の中が段々と悪い方向にも動いているように見えるので、何とか合気道の思想・哲学でそれを直したいと思うからである。
悪い方向とは、世の中が物やお金、力(権力、財力、体力・腕力)にどんどん片寄って行っていることである。国が然り、個人が然りである。
注意しなければならないのは、物やお金、力を有することが悪いことではないのであって、片寄っていることが不味いのである。何に片寄っているかというと、精神であり心という見えないモノに対してである。
合気道では、物やお金、力を魄といい、そして精神や心を魂と云っており、表裏一体なのである。魄だけであってはならないのである。
そして魄を土台にして魂を表に現わし、魂で魄を制しなければならないと教えられている。

勿論、魄も大事であるから、魄もしっかり作り上げなければならない。経済的な基盤、国でいえば国体、人でいえば身体をしっかり作り上げる事である。
多くの国も人も、これはほぼ出来ているし、更にしっかり作り上げようとしている。
しかし問題は、これに対する魂である、精神と心がその魄に対して希薄であり、そしてどんどん希薄になりつつあるということである。精神や心が希薄になったり、病んでくると愛が失われるが、その兆候も見える。

高齢者に的を当ててこの問題を見てみよう。今の高齢者は、以前のように若者から尊敬されなくなっているように思う。私の学生時代、われわれ若者は、高齢者(お年寄り)を、社会でも家でも、道場でも尊敬したし、尊敬に値した。
我々若造にない威厳、恐れ、羨望、そして愛などを感じたものだ。かっての道場には高齢者が何人か居られたが、尊敬できる方々だった。
現在、そのように感じる若者は皆無であろう・その理由は、今の高齢者も魄の世の中にあり、魄(物やお金、力)を偏中し、魂を軽視しているか無視しているからである。

魂を軽視したり無視すると、心や精神を大事にしないわけであるが、実は魄も大事にしないことに繋がるようである。
物やお金、力は目の色変えて求めるが、己の身体を大事にすることを忘れる事である。
「魄を土台に魂を表に」しなければならないが、この土台をしっかりすることも大事なのである。これが脆弱ならば、魂が表に現れて活躍できないだけでなく、健康に生きることもできない。金の話に目を輝かせていても、いつ倒れてもおかしくない脆弱な身体である高齢者を見れば、その不自然さと哀れさ、可笑しさがわかるだろう。

魄も大事にしなければならないが、魄と魂のバランスが大事なのである。金があれば、それに見合った心がなければならないのである。今、このバランスが崩れている国や人(特に高齢者)が多いのが問題であると思う。
若者はこれを見ている。力の無い、また、力を持てそうにない若者は、世の中を悲観することになる。ますます世の中は暗くなる。若者、そして社会、世界の為に、先ずは高齢者が「魄を土台に魂を表に」しなければならないと考える。合気道を修業している高齢者は特に心がけて欲しいものである。