【第661回】 新たな発見

取り敢えず80才を目指して生きている。後2年半ほどある。いずれお迎えが来る事は分かっているが、有難いことにそれが何時なのか分からない。
80才までには一人前になりたいものと願っている。少しずつ一人前になってはいるようだが、まだまだ半人前の子供のような気がする。大先生に云わせれば、まだ、何も知らない鼻ったれ小僧である。

一人前になるためだろう、一日一日を大事にしている。自分のやるべきことのために時間と労力を大事にしようとしている。やるべき事にはいろいろある。大きいモノは使命とか天命であり、そしてその使命、天命のために食べたり、寝たりすることもやるべきことであるからである。勿論、合気道の稽古や禊ぎもやるべき事である。

このように年を取ってきてうれしい事は、新たな発見であり、それまで知らなかった事を知り、出来なかった事が出来るようになること等である。特に、合気道関係での発見はうれしいものである。その発見が次の次元に繋がるものなら、うれしいかぎりであり、それは他の何にも勝ることである。合気道の論文を10数年書いているが、その間、幾度もの発見があり、その発見によって、己の稽古が変わってきた。

生きていて何が楽しいかというと、日々自分が変わることである。自分がそうだから、他人もそうだと思う。誰でも自分が変わりたいと思って勉強し、働き、そして生きているはずである。勉強を一生懸命にやるのも、一生懸命に働くのも、絵を描くのも、研究するのも、自分が変わりたいからであろう。
だから、もし、変わらなければ悲劇である。

今、日本だけではなく、世界でいろいろな問題が噴出しているが、その根本的な原因が、この変わらない事と変われない事であると考えている。いくら勉強してもいい点数が取れないとか、一生懸命に働いても、地位も給料も職場環境も変わらないとか、一生懸命に生きても貧困から脱出できないとかいうことになれば、生きること、働くこと、勉強する事などを諦めることになる。世の中はどうでもいいという気持ちになり、時には、自暴自棄になり、暴動を起こしたり、犯罪を起こしたりするのである。
合気道の稽古でも、長年稽古をやっても変わらなければ、また変わることができなければ、稽古を続ける気持ちが消え、引退ということになるはずである。

若い内は、この変わることの重要性に気がつかないだろうし、意識して変わろうとしないだろうが、そろそろ準備を始めた方がいいだろう。特に、合気道の世界にある稽古人はそれが必要である。日々変わること、そして新たな発見を楽しむことである。つまり、新たな発見をし、己が変われるような稽古をしていくことである。