【第657回】 原点にもどる

街を歩いて気になることに、多くの人たちがつまらなそうな顔をして歩いていることである。電車の中でも同じように苦虫をかみつぶしたような顔の人が多い。生きている事や働いていることに喜びを感じていない顔である。
戦後の貧しい日本人の顔は笑顔でもっと明るい顔であった。(写真)

合気道の道場に通う年配の稽古人の顔も暗くなっているように見える。好きな事をやりに来ているのだから、もっと楽しそうな顔になりたいものである。
そうは言っても、暗い顔を明るい顔に変えるのは簡単ではないだろう。
だが、周りのためだけではなく、自分自身のために変えなければならないと考える。暗い顔は、人間性の暗さを表わしたものだろう。暗い人間には、人も運も寄って来ないはずである。そしてますます、暗くなっていくだけである。

合気道を稽古している暗い顔を明るい顔にする一つの方法は、原点に戻ることである。原点で持っていた夢を取り戻すのである。
私の合気道の原点は、敵や悪漢に襲われても、チョチョイがチョイとやっつけてしまうことであった。そのために合気道を修業しようと思ったのである。剣の名人や達人のように剣をつかえ、忍者のように超人的な術をつかって、チョチョイがチョイとやっつけてしまうのである。
そのために、稽古は時間がある限り、体力の続く限り、精一杯やったつもりである。その他、居合、杖、手裏剣等‥も、本を買ってやった。恐らくこの頃の顔は、元気はつらつ輝いていたはずである。

稽古が長く続くようになると、原点の夢は薄まってきて、遂には消えてしまうようである。段々と稽古で現実を見、体験するに従い、名人・達人や忍者のような、チョチョイがチョイなど出来そうにないと思うようになるのであろう。
そして長い間、原点の夢は隠れてしまうのである。恐らくこの間の顔は暗い顔であっただろう。

人の顔、合気道の稽古人の暗い顔を見て、これは不味いと思うのだから、自分の顔もそうならないようにしなければならない。その為、もう一度原点に戻って夢にチャレンジすればいいと思う。しかし、今度のチョチョイがチョイは、理に合った技づかいによるものでなければならない。理合いの技で攻めてくる相手をチョチョイがチョイとくっつけ、導いてしまうのである。道場の生き帰りでも、電車の中でも、このわくわくする気持ちできっと顔も変わるはずである。
出来る出来ないは別にしても、子供のような、そして合気道を始めた頃のような顔になるのではないかと考えているところである。