【第635回】 禊ぎのすすめ

年を取ると体は衰えてくる。例外なく衰える。それが自然であり、宇宙の法則だからである。そしていずれお迎えが来る。これも法則である。
衰えるのは体であるが、主に五体と六根であろう。六根とは、六つの器官。眼(げん)・耳(に)・鼻・舌・身・意である。目が薄くなったり、耳が聞こえなくなったりすることである。

体の衰えていくのは仕方がないが、その衰えの速度を落としたり、時間を伸ばすことは、ある程度可能だろう。だから人は、合気道をしたり、フィットネスに通ったりするわけである。
しかし、体の衰えの速度を遅くしたり、時間を伸ばすのは難しい。その理由は、衰えの方は間断なく進むが、合気道やフィットネスで、その衰えに対抗するのは、ほんのわずかの週に数日であり、一回につき数時間である。
できる事は、少しでも体の衰えの速度を遅くし、衰えの時間を伸ばす努力をするだけである。

合気道は禊ぎであると、大先生は、「合気道の技の形は体の節々をときほごすための準備です。これから六根の罪けがれをみそぎ淨めていかなければなりません」と言われている。
若い頃はそれが分からなかったし、興味もなかったが、年を取ってくるとそれがわかってきて、合気道の稽古も変わってきた。

週に三日ほど道場に通って稽古をしているが、禊ぎと思って稽古をしているつもりだった。汗をかいて体を浄化し、体の節々をほごして体のカスを取るから禊ぎをしていると考えていた。若い頃は問題がなかったが、年を取るに従って、これぐらいの稽古での禊では不十分で、体の衰えの速度に敵わなくなっているのが分かるようになるのである。

禊ぎには体の禊ぎと六根の禊ぎがあると思うが、禊ぐためには、合気道の稽古のように体をつかう方法と祈りがあると思う。大先生のお若い頃は、この体と祈り双方の禊をされておられたことと拝察する。そして晩年は、主に祈りでの禊ぎをされていたはずである。勿論、最晩年まで体をつかっての禊もされていた。だから、合気道は禊であるともいわれているのである。

禊ぎをどうすればいいのか考えていた時、大先生が道場で言われた言葉「毎朝、祈り(禊)をしないと、一日中すっきりしない」を思い出した。この禊ぎ(祈り)には、剣や杖や体術での禊ぎ、そして神様への祈りの両方であったと思う。剣や杖や体術での禊ぎとは、神様との稽古であるわけだから、祈りといってもいいだろう。

従って、大先生の禊ぎをすればいいと考える。つまり、体の禊ぎに加え、神様への祈りである。そして毎日である。
確かに祈りはいい。体も心も禊がれる。天津祝詞などを唱えると、体が共鳴箱のように響き、外界と共鳴する。宇宙との共鳴、そして一体化の可能性が期待できる。

体の禊ぎと祈りは、毎日、何処でもできる。禊ぎは毎朝できるし、やるべきである。そのためには、生活の一部にしてしまわなければならない。体の衰えの速度は大分遅くなる。
年を取って、元気で健康に過ごしたいなら、サプリメントなどでなく、禊ぎをするのがいいと確信した。