【第626回】 80才を迎える準備

これまでも書いてきたように、60,70才はまだまだ鼻ったれ小僧で、物事や世の中の事などほとんど分かっていないと思っている。若くとも俺は分かっているから鼻ったれ小僧ではないと思っていても、それは本人だけがそう思っているだけで、見る人から見れば、まだまだ鼻ったれ小僧の域にあるものだ。
過って大先生はわれわれ稽古人達に、50,60才は、まだまだ鼻ったれ小僧だと何度かいわれていたものだ。当時、大学生だった我々は、俺はもういろいろ知っているし、出来る。小僧ではないと反感を持ったこともあったが、冷静に考えてみたら、やはりそうなのかもしれないと思った記憶がある。実際に、あの場で、合気道とは何だ、気とは何だ、道とは何だと聞かれても、50,60才の稽古人を含め、誰も何も答えることは出来なかったはずだからである。

実際に、70才を越してはいるが、まだまだ分からないことだらけだし、今もまだまだ鼻ったれ小僧だったと実感している。
だが、鼻ったれ小僧で一生いたくはないので、80才になったら一人前になろうと決心している。しかし、80才まで残すところ3年となった。80才はもうすぐ目の前にあるから、そろそろ80才の準備に入らなければならないと考えている次第なのである。

80才になって、一人前になるということは、どういうことなのかを推察してみると、簡単に一言で言えば、自分を信じ、自分の意見をいい、自分がいいと思ったようにやることではないかと思う。
これまでは、先人たちの知恵や知識や考えを勉強して、ただ受け入れてきただけだったようが、80才からは、それらを土台にして、己のものを出していくのである。
合気道のお蔭で、一生涯のテーマであった公案、死ぬまでには答えを得たいと思っていた問題が、自分なりに解決できた。それは、“己は何者なのか、自分は何処から来て、何処へ行くのか”であった。
また、合気道とは何か、合気道の目標、その目標のために何をどうすればいいのか等々ようやく分かりかけてきたところである。

この修業している合気道も、これまでの修業を土台にし、そして大先生や先生、先輩の教えを基に、大先生の教えに反しないよう注意しながら、自分のこうしたい、すべきだと思うようやっていきたいと考えている。
これは少しずつではあるが、既に数年前から始めているようなので、これを進めていけばいいわけである。

この10年以上にわたって書いている論文も、80才に向けて変わっていくはずである。これまでは間違った主観を入れないよう、客観性を重視していたが、段々と己の考えを主体とする主観的なものになるはずである。これまでは人が言ったことであったので、書いたことにそれほど責任を感じなかったが、これからは自分の責任において書くので、更に慎重を期すとともに、ますます勉強し、稽古に励まなければならないと思っている。

80才が楽しみである。鼻ったれ小僧を脱した、一人前の80才になれるように、80才を迎える準備をしなければならない。