【第624回】 過去・現在・未来に生きる

物事を、若い内は過去に学ぶ。習い事、芸事はもちろん、学問でも仕事でも同じである。合気道も大先生の教えを学び、先生や先輩から学んできた。
合気道以外でも、これまで過去の先人や先輩から多くの知恵を学んできた。そして多くの先人や先輩のことや教えを論文に書いてきた。
これらの先人たちの過去の教えが積み重なって、今の自分がつくり上げられてきたことになる。
もし、これらの先人たちの教えを受けることなく、また、先人たちとの繋がりがなく、ひとりぼっちだったとするならば、自分には何もない空っぽなものになっていたはずである。どんなに我こそはと言っている人でも、過去に世話になっていて、自分で創り上げたものなどそんなにないはずである。
大先生をはじめ、すべての偉人、達人、名人など誰もが、過去のその先人たちから学んだはずである。

そしてある段階にくると、今度は自分のものが出来て来るようになり、そしてその完成に努めるようになる。現在に生きるという段階に入ったと考える。
更に、自分がつくりあげたもの、発見したこと等を後進に伝えようとするようになる。これは未来に生きようとすることであると思う。

これは、人は過去・現在・未来に生きるということであり、人の宿命であり、使命であると考える。何故そう言えるかと云うと、誰もがそうしたいと思っているようだし、そうしないと満足しないようだからである。

さて、若い内は主に過去と現在に生きることになるわけだが、高齢者になっても、引き続き過去の先人たちには学び続け、教えを受けていくだろうが、今度は主に、その過去の知恵を消化し、自分の考えでものにし、更にそれを自分なりに生成発展させることであると考える。過去のものを間違いないように受け継ぎ、消化し、そして自分で判断し、評価して自分のものを構築していくのである。これまでの過去に頼ったりせず、己主体でやっていくのである。これが現在に生きるという事だと考える。

次に、自分のものが構築できたらば、先人の素晴らしい教えや遺産と共に、これを後進に残すようにしなければならない。伝統を継承するのである。
継承されないものは、未来に続かないから消滅することになる。だから後進や後輩が継承する価値を見出すように磨き上げることと、後輩を育てていくことが必須となる。
これが未来に生きるということになるだろう。

合気道を修業するということは、過去にも未来にも生きるということになり、
過去・現在・未来に生きるのである。これを更に凝縮していくと、過去・現在・未来もないということになるのだろう。大先生は、剣一振りの中に過去・現在・未来が全て入っていると言われたのも、この意味であうと考える。