【第623回】 若い頃とは異質なもので

合気道の修業をはじめて半世紀以上になるわけだが、修業はまだまだ続く。何時かは己の修業にも終わりが来るが、それまでは続けたいと思っている。

修業の基本は相対稽古で相手に技を掛け、そして受け身を取っていくことと思うが、若い頃は、相手に負けないよう、そして相手を何とか投げよう、抑えようと、力一杯、元気いっぱい稽古をしてきた。

高齢者になれば、腕力や体力(スタミナ)は衰えてくる。人により衰え方や速度は違うが、誰でも衰える。できるのは少しでも衰えを抑えたり、遅らせるだけである。
高齢者になったからといって、高齢者だけを相手に稽古をするわけではなく、若い元気な若者とも稽古をわけだから、腕力や体力のある若者とも十分に稽古ができなければならない。若者との十分な稽古とは、若者の腕力や体力に負けない稽古であり、己自身も相手の若者もいい稽古をしたと満足できる稽古である。若者の力に抑えられてしまったり、スタミナが切れて、ハアハアゼーゼーして稽古を中断してしまっては、不十分な稽古になってしまう。

高齢者は大抵、長年に亘って稽古をし、若者よりは稽古年数も長いはずである。ということは、若者がまだ知らない事、出来ない事を身につけているはずであるだろうし、そうあらねばならないだろう。
それ故、高齢者は稽古において、若者に力負け、体力負けをせず、若者を先導するようにならなければならないと考える。それが先輩としての高齢者の役割だろう。

しかしながら、若者には、最早、腕力や体力では敵わないわけだから、それとは異なるもので若者との稽古に臨まなければならないことになる。
勿論、高齢者の誰でも、若い時は腕力や体力をつけたはずだが、その力も大事である。しかし、その力が、前述のように、衰えるわけだから使うわけにはいかないので、それを若い時のように表にだすのではなく、裏に控えさせ、そしてつぎのような腕力や体力とは異なるものをつかわなければならないといいことである。

それは、

  1. 己の体全体の力を無駄なく使う
  2. 息で体と技を使う
  3. 気魄を込める
  4. 理に合った体づかいと技づかいをする
  5. 魄(腕力、体力)を土台にして、魂(息と心)による技づかい


これらの腕力や体力とは異なるもので若者と稽古をすれば、力と体力がある若者も思うように動いてくれるだろうし、相手の若者も納得してくれるはずである。