【第611回】 高齢者の稽古と上達

長年稽古をし、年を取ってくると稽古の仕方も変わってくる。若い頃やっていたような無茶な稽古はやろうと思わないし、やろうと思ってもできない。
若い頃は、足腰が立たないぐらい稽古をすれば、体ができたし、上達したし、そして稽古に満足していた。しかし、年を取るとそのような稽古はできなくなるわけだが、年を取っても満足できる稽古をしなければならない。
そこで、高齢者はどのような稽古をすれば、満足する稽古になるのかを考えてみることにする。

高齢者になっても満足する稽古は、基本的に合気の道の目標に近づくことである。一歩でも目標に近づいたなら満足するわけである。そしてまた、その目標達成のための数々の関門を突破していくことも満足をもたらすのである。
合気道の目標は、宇宙との一体化であり、宇宙楽園・地球天国完成のお手伝いである。そこで、例えば、宇宙の手前で、宇宙の一部である稽古相手と一体化が稽古でできれば、満足できるだろうし、また、他人や社会に喜びを与えれば、宇宙楽園・地球天国完成のお役に立てたわけであるから、満足できるはずである。それ故、稽古でも相手やまわりの稽古人達に喜びを与えることが満足できる稽古ということになる。

高齢者になっての満足できる稽古は、見えるモノ(体力、腕力)に頼った稽古ではなく、見えないモノ(息、気持ち、気)での稽古をすることだろうと考える。この見えないモノは、体格や体重に関係ないし、経験を積んだ高齢者の方が豊富に持っているはずである。この見えないモノで技をつかうと相手と一体となるし、相手は自ら無重力状態になり、そして自ら倒れてしまう。
これは高齢者が出来るし、また、やらなければならない稽古であると考える。そしてこれが高齢者に可能な上達の道ということになるだろう。

更に、高齢者は、若い頃と違って、体からばたばた動くのではなく、理合いで技をつかうことである。技の法則を見つけ身につけていくのである。新しい法則を会得することが上達という事になる。これは修業の終わりまで続けなければならない。裏を返せば、修業の最後まで上達が控えており、満足する稽古ができるということである。

高齢者でも体も上達するように鍛えていかなければならないと考える。年を取ったから、筋肉が衰え、力が無くなるということに甘えてはならない。諸手取呼吸法や杖・剣などの得物で筋肉を衰えないよう、また、少しでも力が着くように鍛え続けるべきだろう。筋肉の衰えは上達を妨げるだけでなく、稽古を続ける気持ちも奪うと思うからである。
但し、高齢者は、若い時のように一度に鍛えてはいけない。筋肉痛になったり、続ける気持ちがなくなるからである。高齢者になれば、少しずつでいいから、毎日やり続けることが上達に結びつくと考える。

上達するために、相対稽古で注意しなければならない事がある。一つは、年を取ってくると受け身がおっくうになってくるが、受け身を取り続けていくことである。受け身を真面目に取らなくなったら、ダイ先生は別として、上達はないように見ている。

また、高齢者の相対稽古を見ていると、技を掛ける時もそうだが、息を吐きながら受けを取っているのが多い。息を引きながら(吸いながら)受けを取るようにしなければ、体はどんどん硬くなるし、気も力も出なくなる。

最後に、若い頃は2,3時間稽古をしたわけだが、高齢者になっても、それだけの、いやそれ以上の成果をあげるようにしなければならない。それにはどうするかということである。
これは以前にも書いた有川定輝先生の言葉である。一時間の稽古をでれでれやるより、2−3分、気力と体力を集中して稽古をすることである。

高齢者になっても上達したいと思うならば、以上のような事に注意しなければならないと考えている。