【第606回】 本質に戻れ

この論文を書いているのは2017年10月である。毎日、不快な事件が起こり、ニュースとして報道されているが、特に気になり、考えさせられる事件が起こった。神戸製鋼とスバルの検査データの改ざんや日産自動車やSUBARU(スバル)の無資格検査である。日本の製品品質だけでなく、日本の信用を落とす大問題である。

原因調査が行われ、関係者は処分されるだろうが、恐らくこの問題も完全になくなることはないように思う。
何故ならば、これは処分される関係者だけの問題ではなく、間接的な関係者、会社、彼らが生活している社会、彼らを教育した学校、彼らを育てた家庭などにも責任があると思うからである。
更に、極端に言えば、日本人一人一人にこの責任があると考える。
だから、この問題解決は難しいと考えるわけなのである。

これを合気道の教えに沿って説明し、どうすればこのような問題を根本的に解決できるのかを考えてみたいと思う。

今、日本も世界も物質的には豊かである。物質文明を謳歌しているといえる。しかし、人が見えるモノ(物質)を飽くことなく求めていくと、競争や争いを起こすことになる。競争に負けないために、見えるモノをよくしようとするが、見えないモノは無視するか、違反するようになる。また、今回の場合のように、見えるモノ(規則)でも、見えないということで軽視してしまう。

合気道的に云えば、魄(物質、モノ、見えるモノ)に偏ったために起こった当然の帰結である。魂(心、精神、見えないモノ)が負けてしまったのである。物事は魄と魂が一体となり、しかも魂が魄の上になり、魂が魄を導かなければならないのである。つまり、モノを有したり、モノを作ったりする場合、モノを有し、つかう心を有していなければならないということである。従って、モノを沢山、潤沢に有することは悪い事ではないわけであるが、大事な事はそれを、所有するモノが喜んでくれるように使い切ることができることである。

合気道では、力(魄、モノ)はあればあるほどいいが、その力に頼って技を掛けたり、その力を制御する心がなければなら駄目だと教えられている。

合気道の稽古は相対で技を練り合って精進していくわけであるが、掛けた技に満足するのは容易ではない。満足できる技とは、自分が満足できなければならないが、受けの相手も納得し、満足できなければならない。
しかし、合気道の世界でも、物質文明、物質科学の力の稽古、相手を倒そうとする相対的な稽古をしがちである。本来は、法則に則って技を掛ければ、その結果、相手は倒れることになっているので、本末転倒、つまり、目的と結果を間違えているわけである。倒すことを目的としてしまい、本来の稽古の目的である過程を無視しているのである。

ビジネスの世界でもこの物質文明、物質科学が支配していると考える。儲けることを目的にしている。故に、競争、力の世界になり、見えないモノを無視することになる。つまり、心の無視である。
モノをつくる、サービスをするなどは、まず、それを提供する相手や顧客が少しでも納得し満足してくれることが大事である。これが愛である。
儲けはその代償として帰ってくるものであり、儲けることが本質的な目的ではない。儲けるのではなく、儲かるようにすることである。

このように、人の心が本質に戻れば、神戸製鋼やスバルの問題も無くなっていくと考える。
しかし、容易ではないだろう。このための稽古をしている合気道の稽古人でさえ、物質文明、物質科学の稽古から中々抜け出せないのである。
会社でも、雇われ社長では、儲けなければ、株主からお役御免を告げられるわけだから、精神文明、精神科学の経営はそう簡単ではないだろう。
しかし、ビジネスの本来求めるべきものをもう一度考え、本質に戻らなければ、同じ問題、いや更に大きな問題が起こるはずである。

会社だけでなく、各人、家庭、学校、社会、国、世界が、物質文明、物質科学から精神文明、精神科学の重要性と必要性を自覚し、身につけて欲しいと願っている。