【第598回】 思ったらやる

高齢者になると会社に行く必要もなくなり、やらなければならない仕事もなくなるので時間ができる。それまでの就労時とは雲泥の差である。
この潤沢な時間は高齢者の特権であり、武器であるが、つかい方によってはマイナスにも成りかねない。ものごとには必ずプラスとマイナスの両面があるのである。

この潤沢な時間を有意義につかうかどうかは、自分が本当にやりたいことをもつかどうかに掛かっているように思う。例えば、我々合気道家は合気道を精進するということに、この潤沢な時間をつかうことができるので、大いにプラスである。会社に行っていた時に、何とか仕事をやりくりして時間をつくり稽古に来たことを思えば雲泥の差である。

しかし、合気道をやっていない人、何も習い事や趣味を持っていない人にとっては潤沢な時間はマイナスに働いているように思える。街中や公共施設、デパートの休憩所などで、多くの高齢者が時間をつぶしているのを見るからである。

本当にやりたい事をやり、潤沢な時間を有意義に使うようになると、就労時期よりも時間を大切にするようになってくる。
はじめは時間があるし、自由につかえるので、何でも、何時でも自由にできると思っているが、やりたい事、やるべき事は即やらなければならなくなるのである。
その理由を考えてみると、まず、そのやりたい事、やるべき事は、その時点のものであり、時が経つと、最早その気持ちはなくなってしまい、その気持ちは、恐らく二度と出て来ないように思えるためである。因みに、今書いているこの論文のテーマと文章も、これを書き終わったところで、興味は消滅しまうはずである。だから今書かなければいけないのである。

本当にやりたい事をやっていると、それと関連していろいろな事、また、直接は関係していないが、間接的に繋がっていると思われることに興味を持つようになり、それもやってみよう、あれもやってみようと思う。テレビを見ていても、新聞を読んでいても関係があるところには目がいき、耳が捉える。電車に乗っていても、社内のつり広告や街のポスターに目が止まる。

そして面白そうな展覧会や映画があることがわかれば、三日を置かずに行く。これはと思う本が紹介されていれば、できるだけ早く書店に行って確認し、よさそうなら買う。いいかどうかは読まなければ分からない。

最近すぐやったことは、テレビの料理番組で紹介された親子丼をつくったことである。まず、すぐに親子丼用の鍋を探した。近くのイトーヨーカ堂や西友を見たが見つからず、翌日、都心の東急ハンズで見つけた。その帰りに、鶏肉、卵、玉ねぎを買い実験した。テレビで見たようには出来なかったが、食べられない事はなかった。練習して友達にもご馳走してやろうとも思ったが、その後はお休みしている。あの時、鍋を買わずに、その内と思っていたら、恐らく永久に親子丼はつくらなかったと思う。
因みに、親子丼と自分のやりたい事と関係がある。自分の興味のあることややりたい事をやるためには、食べることは大事である。つまり、やりたい事をやるためには食べなくてはならない。食べることを大事にしなければ、いい仕事はできないだろう。

合気道の稽古でも、こうやったらいいだろうと思う事が頻繁にある。やりたい事、やるべき事である。これも即、稽古してみなければならない。この興味もいつまでも続くものではなく、その内消えていくはずだし、高齢者の頭と体ゆえ、忘却の彼方へと言ってしまうからである。また、新しくやるべき事をやると、次のやるべき新たな事が必ず現れるから、なるべく早くやって、次のやるべき事を迎えなければならないのである。

高齢者になったら、思ったらすぐやるのがいいだろう。先がまだあると期待しても、希望しているほどないだろうし、折角の思いは翌日には半減し、消滅するかも知れない。また、次に待機しているやるべき事が出て来れるようにもすぐやるべきである。