【第586回】 対話が必要

1980年頃から、仕事の関係で毎年ヨーロッパに行っている。また、それ以前に1966年から1972年までドイツに住み、ヨーロッパ各地を訪れている。
1966年に初めてヨーロッパ、とりわけドイツに入った時の人の第一印象は、「暗い」ということであった。日本はまだ経済発展の途上にあり、経済的には貧しかったが、人々の顔はにこやかに緩んでいて気持ちが和んでいたが、それに比べて、日本に先行していたドイツ人の顔は引きつり気味で暗い感じを持ったものだ。勿論、知人、友人になると彼らもにこやかな明るい顔になったのでホットしたものだ。

スイスには何度か行っているが、今年、20年ぶりに訪れた。以前と同国人の印象が全然違っているのに驚いた。暗いと思っていてスイス人の顔つきが、以前の日本人のように、にこやかに緩んでいるのである。今の日本と逆転である。かってドイツで仕事をしているとき、日本人は誰もがいつもにこにこしていて気持ちがいいと言われたのがウソのようである。
スイスは物価も安くなく、EUでもないのに、多くの観光客が訪れる、観光立国であるというのがわかるような気がする。
日本も観光客を呼びたいのなら、スイスに学ぶのがいいだろうと強く思った次第である。

スイス人がにこやかな顔をしている理由、または結果なのか知らないが(恐らく相乗効果によると思うが)、誰とでも気安く対話をすることにあると思う。お店の人とお客、レストラン、それに観光客とも、顔を合わせて、にこにこしながら気安く対話をするのである。
そこにいくと日本はその対話がないようである。レストランやお店に入っても、お客はむっつりした顔で、お店の人の顔を見ず、ほとんど声を発せず、お店の人とも対話することもなく、無言で入って、無言で出ていく。外国人からみたら、幽霊のように思うはずである。無言でも、対話がなくとも本人に悪気がないことはわかっているが、外国人からすれば理解できないし、不気味であるはずである。
これは改めるべきだと思う。

武道の世界でも対話は重要である。武道の対話の一つは「挨拶」である。この挨拶を返さなかったり、間違えると、場合によっては生死に係わる問題になるのである。かって本部て教えられていた有川定輝師範が、どんなに未熟な稽古人にも、必ず挨拶を返されていたので、「先生ぐらいになれば挨拶を返さなくともいいと思いますが、何故、返されるのですか」とお聞きしたところ、一言、「敵をつくらないためだ」と言われた。

合気道のもう一つの相手との対話は「技」である。技で対話をしているわけである。だから、対話をしていないような技は、相手を説得することなく、上手く掛からないはずである。
更に、技をつかうに際して、己と己の体との対話がある。体と対話をしていけば体がいろいろ教えてくれる。対話がなければ、体は何も言ってくれないどころか、怪我や病気になってしまう。

合気道では更なる対話が必要になる。己の心と真の心、つまり、宇宙の心・魂である。己の心が思っていることが正しいのかどうか、どうすればいいのか等は、その宇宙の心・魂にお聞きすればいい。

対話は大事である。稽古を通して対話を身につけ、世の中に広まるようにすればいいだろう。
感謝と笑顔があれば対話は容易であろう。