合気道をやっている人の中でも、高齢になって退職し、悠々自適で合気道を楽しんでいる人が多くなっている。街でも退職した多くの高齢者を見かけるし、郊外ではジョッギングや散歩を楽しんでいる姿がある。
人は本能的にできるだけリラックスしたいと思うものだ。高齢者は仕事をしなくてもいいし、子どもにも手がかからず、緊張することも少なくなって、リラックスした生活ができる。しかしながら、ものごとを創造したり、運動やスポーツを上達するためには緊張感が必要である。また、生きているという実感をもつには緊張感がなければならないし、緊張感なくしていい仕事はできない。合気道の稽古でも、緊張感のない稽古は上達もしないし、怪我などしてしまうことになりかねない。
人が緊張状態になるのは、戦争や試合などで戦うときや、大事な仕事をするとか、講演をするとき等、外的な要因が考えられる。が、自分の意志でその状態にもっていくこともできる。緊張感は他から与えられると嫌なものだが、自分で緊張感の状態にもっていくのはそれほどではない。自分をリラックスした状態から、緊張状態へもっていくには、意識を変えればよいわけである。
といっても、そう簡単に意識を変えることは難しい。それはリラックスした状態が普通で、緊張した状態は特殊なことであり、また人は極力、リラックス状態でいようとするからであろう。自主稽古は時間が十分ある休日にたっぷりすればいいはずだが、仕事がある平日の方が一生懸命やるものだ。平日は起きたときから、否、寝る前から、明日は仕事があると、アドレナリンがでているのか緊張するので、自主稽古もやりやすいのだろう。
稽古で緊張状態にするためには、儀式をしっかりやることである。つまり、道場への出入り、人との挨拶などである。儀式をしっかりすることによって、これから稽古をするのだという緊張感を自分にもたらすことができる。緊張がなくなったら道場でも自主稽古でも稽古の意味がなくなってしまうし、危険でもあるので、自ら緊張している状態をつくらなければならない。
自主稽古では、マンネリになって緊張がなくなれば、緊張しなければできないような新しいメニューを追加することである。大東流合気柔術師範の故佐川氏は、亡くなるまで四股1,000回などを含むメニューの自主稽古を毎日、続けたといわれるが、ご本人も言われていたように、命がけでやるほど毎回緊張されていたと思う。緊張してやった自主稽古や稽古をやりとげた後の達成感や満足感は、だらだらやったものとは大きく違っている。満足した稽古を続けていくためにも、自分を自分で緊張感へと追い込んで行こう。